「や、お待たせ!」
 息を弾ませて駆けてきた律子に、灰人は振り返って立ち上がった。
「いや、こっちこそ急に悪かった」
 予定大丈夫だったのか? と問われた律子は「ええ」と軽く頷く。
「もともと予定入れてなかったし。時間まで待ってたぐらいだったもの」
 平気よと律子は応じて。すぐにイタズラっぽく目を煌かせ切り返した。
「でもなぁに? また当主様に追い出されちゃった? それともあてられちゃった?」
「……どっちもだ。見てるだけで馬鹿馬鹿しくなる」
 常と大して変わらない淡々とした声音だが、浅く吐かれた息はその感情を示して余りある。対照的に律子は明るく笑った。
「あら、仲良きことはいいことじゃない」
「程度にもよる。そもそもおまえが来て発破かけてからひどくなってる気がするんだが」
 目を伏せてあてつけがましく溜め息をつく灰人に、まぁまぁと律子はぽんと肩をたたく。
「だからこうして責任持ってお相手させていただいてるんじゃない。こう見えてOLの休日はなかなか貴重なのよ」
「その割にはずいぶんあっさり毎回来てる気がするんだが」
「そりゃ楽しいコトは大歓迎ですから♪」
 灰人クンとこの話楽しいもの。にっこりときれいに笑って見せる律子に、灰人は溜め息を返した。

たとえばそんな関係


 頻繁に会うようになって久しい幼馴染の旋毛を見るともなく見ながら、灰人は歩く。こうして月に何度か――下手をすると週一に近いペースで会うようになったのはいつ頃からだろう。
 元々は、仕事で近くまで来たからと思い出したように顔を出していたが、気がつくと昔のように毎日ではないにせよ会っていると思い返しながら、灰人は予定が前倒しになった理由を話し終えて深く息を吐いた。
「――まぁ、要はいつもどおりだけどな」
 そう締めくくったその表現通り、会う約束を前倒しして合流する事は、実のところ少なくない。それを聞き終えて「ふむ」と、自分の顎に人差し指を当てて、律子は「つまり」と口を開いた。
「花ちゃんがまるで無自覚のまま瑞貴君怒らせちゃって、瑞貴くんも大人気なくお仕置きタイム敢行。おかげで邪魔者な灰人クンは追い出されて、予定を前倒しにしたってワケ。なるほどなるほど」
「……平たく言えばそうだな」
 改めて自分の目の前で起きた事を他人にまとめられ口にされると、余計に馬鹿馬鹿しさが浮き彫りになった。呆れながら、灰人は深々と溜め息をつく。どうも毎回大概同じような理由で追い出されていることを考えると、これは瑞貴のほうが狙ってやっていると考えるのが妥当か。
 灰人を追い出し、さっさと律子と合流させることか、それとも瑞貴自身が花と二人でいる時間を得ることに主眼を置いているのかは不明だが。……まあ、どちらにしろ碌な理由じゃない。
 溜息を重ねる灰人に、面白がるように律子は見上げて尋ねる。
「でも、だったら花ちゃんも灰人クンに助け求めたんじゃないの?」
「馬に蹴られたいと思うか? 馬鹿馬鹿しい……まあ、お前が『ノー』と言っていれば止めることになっただろうがな」
 間違っても目の前でやられるのを眺めていたいものでもなし。第一あの少女を見捨てるのは、色々と良心が咎める。たとえ最終的には流されるだろうとは分かっていてもだ。
「あら。それじゃあ花ちゃんには悪いコトしちゃったかしら」
口調がぜんぜん悪びれてないうえに、目が笑っている。
「顔が笑ってるぞ」
「そう? 失敗失敗。まあ灰人クンにしてみればお疲れ様だろうけど」
 歌うように楽しげな声に、代わってやりたいものだと溜め息をつく。
「疲れどころか胸焼けだ」
「まあまあ、気持ちは分かるんじゃなーい? 同じ男として」
 その言葉に、一緒にするなと言わんばかりに、灰人は思いっきり顔をしかめる。
「期待に添えなくて悪いが、こっちはアレみたいに人前で無理やりがっつく趣味はない」
 はっと息を吐いた灰人に、「あら」と律子はイタズラっぽく目を瞬かせる。
「それ聞いたら瑞貴くん泣くわよ? 手を出してないって本家じゃ専らの噂だって七瀬さんから聞いてるし。同じ一つ屋根の下に暮らしてるなんて状況じゃ生殺しもいいとこでしょうに尊敬だわ」
 少しぐらいお目こぼししてあげたら? そんな事を言いながら律子が面白そうに覗き込むが、灰人は疲れたように溜め息をついて。
「……さあな。アレに同情するのが役目なら考えるが」
「あら、事実は違うの?」
「……ノーコメント」
 溜め息交じりの言葉から真意を読み取るのは難しいはずだが。流石付き合いが長かっただけあり、軽く笑いの吐息を洩らして律子は口を開く。
「そんなこといって。本当にそんな状況になってたら、流石に灰人クンも三人で一緒に暮らしてく気にならないんじゃない?」
「……どっちにしろ元々俺に選択の権利はないが……」
 ふっと灰人は僅かに口角を上げて、肩を軽く鳴らすように上げる。
「否定はしない」
 それが肯定の返事と受け取って、律子は笑う。
「何かあれば、江ノ本さんってすぐわかっちゃうものね」
 そう言って、いろんな意味でひどく素直な反応を示す花を思い出して律子はくすくすと笑っていたが。ふっと、それを控えるように眉尻を下げて、困ったような笑みを灰人に向けた。
「……だから知ってるわ。こうして灰人クンが色々誘って付き合ってくれてる理由も……ね」
 灰人はなにも言わずに、律子と同じような苦笑を浮かべた。ゆっくりと息を吐いて。
「それはお互い様だろ――あの子は悪気なく、好意でしてるつもりなんだろうけどな」
 最近ことある毎に、『是非お二人で行ってきてください!』とおそらく本人としてはさりげなさを装ってペアチケットを贈られたり、『2人でのお出かけ』を促されるようになった。彼女曰く「律子さんにもお世話になってますし、灰人さんもたまには気兼ねなく自由に羽伸ばして欲しいんです」というもので。その言葉も半分くらいは本気だろうとは思う。
 もともと灰人もそこまで行動が制限されているわけでもないのだが、確かに出かけることはごく稀であったから。彼女に『瑞貴の世話ばっかりではかわいそうだ』と思われても仕方がない部分もある。
 だが残り半分の本音は――一応おせっかいにはならないよう気を遣っているつもりらしいが、恋人になってくれないかなと、そんな風に花が思っていることは知っていた。そう、お互いに。
「まあ、最初にヒロミちゃんから誤解するようなコト聞かされちゃったものね。無理もないわ」
 そう複雑な表情で笑う律子に、灰人も苦笑する。
「忙しいだろうに、時間割かせて悪いな」
 どこか苦笑めいたものを浮かべながらも、僅かに表情を翳らせた灰人に律子は首を横に振った。
「んーん。無理してるわけじゃないのよ? 本当にダメだったらそういうし、実際楽しんでるもの。こうして灰人クンと『デート』するの好きよ」
嘘じゃないわ。そう言って律子が笑うのを灰人は目を細めて見やる。数年前までは、恨まれているとさえ思って律子は随分と気を揉んでいたらしいと、再会した時ふとした折で知った時は、灰人も随分驚かされた。それを思えば確かにそうなのかもしれないと考える。もっとも、勘違いもはなはだしいと誤解が解けてからは、米国で以前より更に培われたらしいフランクな気安さも手伝ってか、すぐに兄妹のように接していたかつてと同じように互いに打ち解けて、こうして気兼ねなく出かけるまでにいたっているが。
「そうだな」と軽く同意して、灰人も頷き返す。そんなこともあり、律子は灰人にとって数少ない気の置けない親しい人間であることは確かだ。だが、だからといってすぐにそういった感情になるかといわれれば『否』だが。それは律子とて同様だろう。あくまでも昔の延長の、兄妹のような関係というのが事実。
 まあその所為で、否定したところでたいした説得力がないというのもなくはないが。実際に断る理由もなく、ズルズルとこうして出かけることになっている。
「しかし問題は瑞貴か……」
 そう、最近は瑞貴も自分にも都合がいいと思ったためか、どこか積極的に協力している節があるのだから性質が悪い。ちなみにこちらは彼女と違い、今のところ体のいい厄介払いができるという意味合いの方があからさまに強く押し出されるが。裏の思惑も大体想像がつくだけに、少々強引な手に出ないとも限らないのが頭が痛いところだ。なまじそういう権力も頭も持っているだけになにをされるか分かったものではない。
 今日もあった出かける前にかけられた台詞を思い出して灰人が軽く溜息をつくと、頬に手を当てて律子も小さくため息をついた。
「そーよね……流石に二人も騙してるとなるとちょっと罪悪感がね」
「問題はそこなのか?」
「え? 違うの? 私としては瑞貴君にそこまで気に入ってもらえてるってのは悪い気はしてないんだけど」
 律子の言葉に、灰人は深々と溜め息をつく。どう考えても裏がある、という事実は考えていないのか。律子の言も全くの間違いではないだろうとは、確かに灰人も思うが。
 難しい表情をする灰人に、何かを勘違いしたのか律子は困ったように眉を寄せて。
「まぁ、灰人クンにはいい迷惑かも知れないけどサ」
 毎回つき合わせてゴメンね? と半分冗談めかして、だがいくらかは心苦しそうに言われたその言葉に、灰人も表情を弛めて軽口をたたく。
「いや。子守や気まぐれな客の相手よりずっと気が晴れる」
「光栄だわ。じゃ、思惑とか考えるの抜きで、折角だから楽しみましょ」
「だな」
 考えてどうこうなるものでもない。二人笑いあってゆっくりと足を運ぶ。予定よりも早く出てきたから、まだ本来観ようと約束していた映画の開始時間には随分余裕があることだし。律子が望むだろう、相変わらずな同居人たちの話でもしようかと灰人は回想して。――ふと、あることを思い出す。
「……ああ、そういえば」
 唐突に灰人は足を止めて、面白がるように律子を流し見る。
「瑞貴からはしきりに『朝帰りしろ』といわれているんだが?」
 どうする? と反応を楽しむように告げられたそれに、律子は一瞬目を瞬いて。次いでぷっと小さく吹き出した。
「そうね。じゃあ久しぶりにウチに来る? 会いたがってたから母も喜ぶと思うし」
 天原と違って狭いウサギ小屋の雑魚寝でよければドーゾ。そう言った律子の言葉に灰人は目を瞬く。
「……おばさんもこっちに住むことにしたのか?」
「んーん。こっちに住んでるのはあたしだけよ。今はたまたま心配して様子見に来てくれたみたい……っていうのは口実で、単純に日本が懐かしいってのもあるんだろうけど。……なぁに、期待した?」
 イヒ、と意地悪そうに笑った律子に、灰人は溜息をついて軽く頭を小突く。
「そういう台詞はもう少し色気でもつけて、まともに化粧してから言え」
「失礼ね。ナチュラルメイクって言ってよ。これでも少しは化粧してますよーだ」
 いー、と子供のように拗ねる仕草に、結局色気がないことには変わりないと灰人は思うが。まあ、いちいち混ぜ返す必要もないだろう。軽く指摘だけするかと口を開いた。
「『少しは』、な。いちいち付く形容があやしいが――まあ、何にせよ、久しぶりだし行くのもいいか」
 お前の家。話を戻してそう応じた灰人に、「Okay!」ときれいな発音で言うと律子は指を鳴らした。
「じゃあさ、宿泊代として夕ご飯にご馳走作ってくれるってのはいかが?」
 これなら気兼ねもないだろうし、期待にも応えられて一石二鳥。そうにっこりと笑って要領よく提案した律子に、「それでいい」と灰人は笑い返した。
「リクエストは?」
「そうねぇ……じゃ、映画観たあと考えながら夕飯の買い物して帰るってことで」
「わかった」
「やった、ご馳走だわ」とウキウキしつつ一応家に連絡するわね、と携帯を取り出して。自宅へ連絡する律子を灰人はなんとはなしに眺める。
 確かに文字通り『朝帰り』になるのだろうが。およそ言葉から想像されるものとはかけ離れているだろうそれに、灰人は苦笑した。もし『そう』なるとしても、自分たちはあの二人以上にかかるんじゃないだろうかとぼんやりと思う。
 ……といっても思惑に乗せられてやるつもりもないし、そういう気になったにしても急ぐつもりもないが。その可能性が皆無ではないことを認めつつも、少なくとも今互いが望む距離はそこではないことは事実だ。
 携帯で話しながらこちらを見て『OK』と指で丸を作った律子に、小さく頷き返しながら灰人は微かに笑って。こっちも一言連絡しとくかと、携帯を取り出した。

 ――さて、こっちはいったいどんな反応をするだろう?

-End-

comment

*ウチの表の基本灰律、原点。灰人さんがとことんニセモノなのは諦めました。微妙にキスお題『9.振り向きざま』の続き?
 瑞貴が灰人さんに向かって『朝帰り』推奨する某方の素敵発言から思わず書いたものでした。最初はキスお題からめぐりめぐって表へ。
 当時は、どうしてもがっつく灰人さんも律子さんも思い浮かばなくてこんなことに。微妙に匂わせてみたりもしましたがフツーに不発。……まあ、ゆっくり進んでくださいってことでと。……このときはまだ思ってたんですけどね(遠い目)
 ちなみにこれの後日談が連作の『お子様で遊んでみよう』になります。

2008/01/30 初出 [ 出雲奏司 ]

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