お子様で遊んでみよう

 正直なところ、遊ばれているんじゃないかと疑ったのは確かだ。
 どうも灰人と律子さんの2人をくっつけたいと思っているらしい花の想いに便乗する形で、自分も思うところがあって最近なにかとちょっかいを出してはいたから、多分それに対する灸を据えるつもりなのだろうと。
 突っ込みどころ満載で妙に意味深でありながら、全て『兄妹みたいなものだから』の一言で片付けた一連のやりとりに対して出した答えが、それだ。そう考えると一番しっくりくる。
 風呂でゆっくり落ち着いて一人で考えてそう結論を出して、誰が大人しくその手に乗ってやるかと思っていたはず……だったんだが。


 ――目の前のこの光景は一体どう解釈すればいいのだろうか。
 

そのよ -- Side:瑞貴


 髪を拭くために持ってきていたタオルが、ボトリと手から滑り落ちるのを感じながら、だが拾う事も思いつかないまま目の前のものを凝視していた。
 ……どういうわけか、自分の目の前では、律子さんを横抱きにして抱え上げている灰人がいた。しかも抱えられている律子さんの方はと言えば、嬉しそうに無邪気に歓声をあげて灰人の首に腕を回している。下手をしたら『抱っこ』にまでなるんじゃないだろうか、アレは。それに対して灰人はというと、鬱陶しそうに「はいはい、わかったわかった」などといいながらも律子さんのしたいようにさせている。
 ……そもそもどこからおかしくなったのだろうかと、瑞貴は振り返る。
 最初は単に律子さんが寝こけていたから、「眠いなら客室へ行け」と灰人が言っていたはずだ。それがだんだん「ヤダ」だの「(灰人の)服が大きくて歩きにくい」だの「連れてって」だの。そりゃ確かに仲のいい年の離れた兄妹のやり取りといえば、そう見えなくもないのかもしれないが、目の前にいる2人は兄妹でもなんでもない、しかもいい歳をした幼馴染のはずだ。それを踏まえれば、先ほどのやり取りは兄妹というよりはまるっきり恋人同士の睦言に近いんじゃないだろうかと瑞貴はどこか冷静に振り返る。
 というか、何も知らずにやり取りだけみれば律子さんが灰人を『誘ってる』んじゃないのかと下世話な勘繰りをしたとしても、そうおかしくはない気がする。
 ……だが、瑞貴にとってもっと恐ろしいのが、そんな行動をとりながらそういった色めいたものが2人の間に全く見えないということだった。
 律子さんの方は、寝ぼけているのだからまだ分かるにしてもと瑞貴は思う。灰人の表情が全く読めない、というか普段と変わりない。普段からほとんど表情が変わらないからわかりにくいというのもあるだろうが、それにしたって異常だとしか思えない。もうちょっと動揺するだとか鼻の下伸ばす(いやそれも想像できないが)とか男なら何とか反応のしようがあるだろう普通!! ……と突っ込んでしまいたくなるのだが。
 自分の目の前にいる花も、何が起こってるかわからないというか、信じられないといった表情で固まっている。先ほどまではの二人のやり取りを『かわいいなぁ』なんて呟いて見ていたはずだが、流石流せる範囲ではなくなってきたらしい。あたり前だ。いくら仲が良いといっても腐っても見た目は妙齢の男女なのだ。恋人同士の睦言にしか見えない代物を、いい大人が恥ずかしげも色気もなく繰り広げられたら固まるしかない。
 ここまでくると律子さんの行動も『可愛らしい』というのを通り越し、恐怖だ。眠いだけで人間ここまで変わるのか、普通。いや、そんなはずが――
「……瑞貴、ぼーっとしてる暇があるならそこの戸を開けろ」
 そんなことをぐるぐると思うこちらの煩悶など知ったこっちゃないといわんばかりに、その一番の恐怖の元凶がやはり普段と全く変わらない調子でそうのたまってきた。その腕の中では妙に上機嫌で首にかじりついている元凶その2が「おーい瑞貴くーん」と手を振っている。思わず目を逸らしてしまったのは、仕方がないことだ。というかお願いですから、これ以上普段のイメージを壊さないで欲しいと瑞貴は思う。心底。
 だから、いつもなら文句や皮肉の一つも言ってるはずが、流石にまともに判断する余裕もなく。思わず逃げるようにふらふらと言われるままリビングのドアへと足を向けてしまう。
 そしているうちにも、背後で灰人が花に向かって声をかけているのが聞こえてくる。
「布団準備済んでたっけ?」
「は、はいッ」
 客室の部屋の準備をしたのは花だ。多分首振り人形のようにかくかくと首を縦に振っているんだろう。手にとるようにその様が見える。灰人と律子さんの様子もなんとなく想像はつくが、目に浮かべたくない。
「律子の荷物でここに残ってるのは?」
「あ、えーと……この鞄だけだと思います……」
 流石の花も直面している光景を『兄妹だから』とあっさり受け止めることはできなかったらしい(あたり前だ)。思いっきり声を引きつらせながら、荷物を渡す為否が応でも直視しなければいけない状況に同情だけする。助け舟など出せるはずもないが。
 その荷物を受け取りながら灰人がぼやくように溜め息をついた。

「……まったく。昔ほど軽くないってのに……」
――いや、重いとか軽いとかの問題じゃないだろ。というか、十分軽々持ってるっつーか、微妙に嬉しそうなのは何でだ!? 父親気分なのか?

「なによぅ……昔は軽すぎるって無理やり食べさせたくせにー」
――食べさせたって、ナニをだ。重くなったって妙に嬉しそうだったのはそのせいか? 灰人お前は母親か!?

「歩けるぐらい減らず口たたけるなら自分で一人で歩いていけ」
――いやいや、先にねだられてフツーに恐ろしい密着度も気にせず抱え上げたのお前だろ!?

「やーだ。灰人クンも一緒に寝るのー」
――――――――……

 ガンッ! と思わず思いっきり手近の壁を殴った。

 余計な突っ込みに頭はいくらでもフル回転(と言うよりむしろ空回り)して、肝心の舌はもはやどこから突っ込んだものか全く分からず動くことを放棄していたが。流石にコレはない。
(色々画策してたこっちに対するあてつけか何か知らないが……)
 これ以上は耐えられようか。いや、耐えられまい。鈍い音に気づいたのだろう。花も驚いたようにこちらを振り返り、まるで救いの神を見るように何かを期待するようにこちらを見ている。
 音こそ思ったほど派手に鳴らなかったが、痛みだけは痛烈ににじむ。おかげでコレが夢ではないことまで確認できた。……余計最悪だが。口元に、自分では見えないが歪んだ笑みが浮かんでいるだろうと思いながら、ゆっくりと口を開く。
「……灰人」
 我ながら引きつっていると自覚できるその声の呼びかけに、灰人が察したように溜め息混じりに返した。
「だから言っただろ。眠り癖が悪いって」
 なるほど、そこでこの期に及んでまだそれを持ち出すか。口の端が引きつるのを感じながら、思いっきり息を吸い込む。
「ほーナルホド。そーかそーか。確かにコレは性質の悪い眠り癖だな……って誰が頷けるか!」
 大体いくら『兄妹みたいなものだから』と言われて本当にそれで納得できるか。仮にそれが本当だったにしても、こういうことが日常的に行われていたコトのほうがよっぽど問題だと思う俺が間違ってるってのか!?
 ようやくまともに動いた口でまくし立てる。……が、返ってきたのはやはりどこまでも落ち着いた表情と溜息一つだった。
「……文句ならコイツに言え」
 灰人の冷え切った言葉に示された『コイツ』――律子さんを見る。……が、あれほど騒ぎ立てたにもかかわらず、律子さんは完全に眠り込んでいた。どうやら居心地のいい体勢を見つけたらしい。今は気持ちよさそうに寝こけている。
(律子さん……)
 散々振り回してくれた挙句にコレか。こちらが思わず脱力してしまったのを見越していたかのように、灰人は淡々と告げてくる。
「多少酒が入っていて眠い時だけで、普段からいつもこうってわけじゃない。いちいち目くじらを立てるな」
 まるで、こっちが神経質だとでも言わんばかりの口調で。逆切れというのか開き直りと言うのか。なぜ自分が諭されるように言われているのだろうかとぼんやり思う。……が、ここまで堂々としている態度を見れば自分のほうが間違っている気分になるから不思議だ。
 「酒が入るとすぐ昔に戻る」とひとつ溜息をついただけで、動じた様子もないあたり冗談抜きで慣れているのかもしれない、と段々そう思えて納得できそうになる。
 どちらにせよ。一度受け流されてしまえば、もう叫ぶ気力もなくなる。最早残ったのは、疲れと天井知らずのカルチャーショックで色んな意味で混乱してまとまらない頭ばかり。碌に声も出ない。
 もうどうにでもしてくれと茫然自失しているこちらをよそに、灰人は不意に目を落として「またコレか」と深々と溜息を吐いた。
「……『また』?」
「? ……ああ」
 思わずオウム返しで聞いてしまったこちらに、一瞬目を瞬いて。すぐに灰人は、小さな子供のようにぎゅっと握り締められた袖口を顎で示してみせた。
「この間泊まった時も妙な馬鹿力で結局朝まで放さなかったからな……そういえば今日と似たような状況か」
 正直耳をふさぎたい内容だったが、もうその気力もない。もう本気で好きにしてくれと思いながら明後日を向く。
 どうせ灰人の顔を見たところで、それがどうしたと言わんばかりの表情しかないと分かっている。流石に最早これが演技や嘘だとはとても思えなかったし。……というより、今更嘘を言う理由もないだろう。ついでに言葉の裏にある、ある可能性に思い至ってはいたが、あえて気づかない振りをした。……もうこれ以上心労を増やしたくない。
 ぐったりしたこちらを見て何を思ったか。不意に灰人が面白がるような笑みを浮かべてみせる。
「……何を心配してるか知らんがな。酔って眠ってる人間に手を出す気は無いが?」
 今更のように灰人はそう告げた。いや、堂々とそれをいわれるのも律子さんの方にしてみれば、非常にありがたいかもしれないが、女性としては複雑な気分になるんじゃないだろうかとか。そんなどうでもいいコトを考えてどうするんだと思いつつ聞き流す。
「……さいで」
「大体コレに手を出す気になるならぜひ聞いてみたいんだが?」
「……」
 ……確かに、ここまで信頼されてるんだか意識されてないんだか、単に酔っ払ってるのか寝ぼけてるんだかされてたらその気にならないと言うのも分からないではないが――いや、でも……
 色々とぐるぐると考え込んだものの、最早何が問題だったかすら分からなくなってきた。頭はすでに思考を拒否しているらしい。というより、もうこれ以上見てたくないというか。とにかく逃げたいと瑞貴は何とはなしに思う。
 こうしてる間も、目の前では抱き上げられた律子さんが夢見がいいのか居心地よさそうにニコニコしながら頬を胸に摺り寄せてるし。……一体、本気でどんな関係なんだこの二人。……いや、もうこれ以上知りたくもないが。
 こちらの返事を聞くのを諦めたか、端から興味がなかったのか(多分後者だ)灰人はすっかり眠り込んでいる律子さんを抱えてリビングを出ようとしている。
 「て、手伝いましょうか」と最後の気力を振り絞って言ったらしい花の言葉を「おいてくるだけだし大丈夫だから」と苦笑交じりで灰人が断ったのは、流石にこれ以上醜態を見せるのは互いに忍びないと思ったのかどうか。……すでに手遅れに過ぎるとは思ったが。
 ともかくも、リビングから見送るだけで解放された花と共に思いっきり脱力なのか安堵なのかよく分からない溜め息を吐いて。
 ただ『ようやく終わった』と、それだけは花とも共通してあった思いだったはずだ。
 そう、こうしてなんとか嵐は過ぎた……かに思われた。



 その後暫くショックの抜けやらぬ表情で花とお互い戸口で暫く呆然としていたが。
「あれでも『兄妹みたいなものだから』で済まして見れるのか?」
「…………」
 幾分冷静さを取り戻した頭でぽつりとそう言ってやれば、花は途方にくれたようにただ無言で首を横に振ってみせた。まぁ、まさかこんな事になるとは――ここまでとは夢にも思っていなかったのだろうが。そのまま無言でじっと見れば、最初「カワイイ」と言っていた手前の気まずさのようなものを感じ取ったらしい。目を逸らして「あー……」などとつぶやいて。
「えーとさ……あたしたちも寝よっか」
「……だな」
 逃げの手を打った花にあっさり同意してやる。とにかくひたすら感じる疲れを取るのが先だろう。のろのろと立ち上がって片付けでもするかと、手始めに落としたままだったタオルを拾い上げたところで。
 Turrrrr..........
 聞きなれた電子音。急に鳴った内線に2人同時にびくりとして、慌てて弾かれたように花が受話器に飛びついた。
「はい、も、もしもし!?」
 声が完全に裏返っている。動揺するにもほどがあるだろうとは思いつつ、仮に自分が出ても似たような状態だと思うと笑う気になれない。なにやら動揺しつつ頷いていたようだったが、程なくして花の手から滑り落ちるようにカチャリと子機が充電器に収まった。
 ……なんとなく、いやな予感を覚えながら、それでも花に問う。
「……なんだって?」
「えーと……なんか、動けなくなっちゃったから、瑞貴に戸締りだけやっておいてほしいって」
「動けなくなったって……」
 胸中で思わず『ビンゴ』とくす玉が割れたんだか、くじ引きで特賞が出たときの鐘の音だかがけたたましくなった気がした。灰人の『またコレか』と言う言葉を聞いた時点で、予想しなくはなかったが。ここまでお約束どおりやってくれなくてもいいじゃないか。まあ言葉を素直に受け取って考えれば、慣れたことらしいし、律子さんが袖を握って放さないからしばらくいると。その程度のことと考えられなくはない……が。
 こっちに戸締りを頼むと言うことは、一晩中一緒にいる可能性もあると考えたという事で……
『………………』
 痛いほどの沈黙が落ちる。多分、脳裏によぎったものはお互い似たり寄ったりだろう。花とて妙齢の男女の機微が分からないほど鈍くはないハズだ。いや、いっそ分からないほうがこの際幸せだったのかもしれないが。
 だが、だからといって放っておく訳にはいかないだろう。あまり気は進まなかったが、被害は最小限で抑えるべきだし、予防線は張っておきたい。寝ぼけて自業自得とはいえ、少なくとも恩人でもある律子さんを何かあるかもしれないと分かっているのに見捨てるのは忍びないし。なにやら考え込んでいる花の両肩を掴んで、瑞貴は覚悟を決めて告げる。
「……おまえ、客室の様子見て来い」
「えー!? やだやだ、なんであたし!? アンタが行ってよ!」
 ぶんぶんと首が取れそうな勢いで横に振って、こちらを指差すが冗談じゃない。なにが悲しくて他人の色事見る羽目になりそうなことしに行くか。しかもそうなったらアイツのことだ、役目にかこつけて確実にこっちの息の根を止めてくるだろう。賭けてもいい。
「俺が行ったら間違いなく血の雨が降るが、おまえならまだ笑って済むだろーがッ!」
「そんなのわかんないじゃん! 大体どんな顔して会えってのよ!?」
「知るかッ、俺に聞くな!!」
 お互い睨み合って譲らない。いや、譲れない。
 ……が、そのうち、花がぽんと手を打ち、目を逸らしつつ提案してきた。
「で、でもさ、灰人さんだしッ! 心配しなくて、も……」
「……律子さんに何かあったらどーするんだ? 責任取れるか? オマエ」
 その言葉に、「うぐっ」と花も言葉をのむ。……流石に状況は分かっているのか。それでも踏ん切りがつかない様子で、なかなか「うん」とは言わない。……まあ当然と言えばそうだが。
(……まてよ)
 不意に思いつく。そうだ。自分にしろ花にしろ、そもそも2人がくっついてくれればいいと思っていたのだ。
「……ああ。そうか、灰人に有無を言わさず責任取らせられるならこっちにとっては好都合か」
 そうだ、それなら無理に様子を見に行く必要もない。元々こっちは花ほど純粋な好意の為というより本家内に味方が増えるという打算も込みでどうにかしてくっつけようと思っていたのだから。結果だけを見れば問題ない。律子さんにしても、あの気安さだ。憎からず思ってはいるだろうし、何より2人とも大人だ。そうそう酷い修羅場になることもないだろう。いざとなれば当主権限でも振りかざすという手もなくはない。
 なんだ、問題ないじゃないかと、自分でも肝心要から目を逸らしていることには気づきつつも瑞貴はそう納得して頷いた。……正直、もう考えたくない一心での思いだった……が。
 そこまで器用にごまかしを受け入れることなど通用しない花が納得するはずもない。
「なんつーこというのよ!? 律子さんの気持ちは――」
「おまえだってあの二人くっつけたがってたろーがッ!」
「そりゃそうだけど、それとこれとは別だっての! あんまりだってば!」

 ……話がまとまらないまま平行線をたどって、でもお互い客室に行くことは拒否し続けたことは言うまでもなく。
 結局律子さんには悪いがお互いに暗黙のうちに『これは夢だ』『忘れよう』などと胸の内で決めさせてもらって。ついでに客室には絶対に近づかない事も決めて。無言で各自作業をこなして自室へ戻り、とりあえず律子さんの無事を祈るという消極的な態度に終わったのだった。

Continue...

2008/03/28 初出 [ 出雲奏司 ]

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