凌霄花  <プラチナガーデン <TOP


 その双肩にのしかかるものは、きっと自分に計り知れないほど重く
 それを受け流すにも掴むにも、その掌は小さく
 そしてなにかを求めるには、伸ばす腕はあまりにも短いのだろう。
 その度に幾度も迷い傷つきながら、それでもいつかは支えられるようになるのかもしれない。

 その小さな手はやがて大きくなったとき、何を掴もうとするのだろうか。
 なにかしてやれることがあるだろうか
 その時まで側にいてやれるだろうか


 残された時間は決して長くはなかろうが
 もしも能うならば――



  凌霄花 -- 空を凌ぐ



 恐れるように、そして躊躇いがちに。小さな手がそろそろと『凌霄花』へと伸びる。
「おお、瑞貴か」
 不意にかけられた声に、少年――瑞貴はぎくりと大きく体を震わせ、反射的に手を引いた。そしてかけられた声の方へと振り返ると、表情に困ったように視線をさまよわせる。それを見ている江ノ本正彬は、ゆっくりと縁側から降りて瑞貴のいる庭へと向かう所だった。ざりざりと、涼やかな砂利の音を立てながら瑞貴に近づくと、瑞貴の視線の先を辿るように、壁面で咲き誇る花へと目を向けた。
「どうだ、今年も綺麗に咲いてるだろ」
「……うん」
ほんの微かに、瑞貴の瞳が揺れる。あの時――花が記憶を失って以来、日に日に取り繕うように表情を隠すことが多くなったことを思えば、珍しいことだ。それに、自分で気づいたのだろうか。瑞貴は幾度か瞬いてから、正彬へと口を開いた。
「花は……元気だった?」
 ぽつりと、酷くさびしげな表情で、そう漏らす。
「ああ。相変わらず元気だよ。おめーのトコにも声が響くんじゃねえかってくらいにな」
「……そっか……」
 それを聞いてほっとしたように微笑みながらも、寂しげで遠くを見るような目は変わらない。
「良かった」
 矛盾する表情と瞳の色。
 この幼さでそんな表情が出来てしまうことは、幸か不幸か。一体、どれほど考え込んでいるのか。一番真っ先に自分を押し殺すことを考えているかのような……自身もまた覚えのある感情に、正彬は苦く笑う。
「そんなに気になるくれえなら、会やいいだろうに」
 ぴくりと小さな肩が一瞬震えて。それを視界の端に捕らえながらも、構わず正彬は続ける。
「本当に、会わなくてよかったのか?」
その気になればまたいつでも会えるんだぞ、と――言下にいわれていることは気づいているのだろう。
 だが、ぎゅっと、小さな手を握り締めて、瑞貴は頷いた。
「……いいんだ」
白くなるほど、唇を噛んで。
「いいんだ、もう……巻き込んで、泣いたり苦しむの、見たくない」
 おじいさんも、そうだよね? ――まるで懇願するようにも見えるその表情に、反論する機会を逸して。子供らしからぬ諦めを知る微笑は、否定を告げる言葉を許さない。
 そうしてゆっくりと噛み締めるように、まるで自分自身にも言い聞かせるように瑞貴は続ける。
「忘れても元気なら……それでいいよ」
何度も、何度も。
「それが、一番いいから……」
自分がどんな表情をしているのか分かっているのだろうか。表情をゆがませながら、それでも笑おうとしている瑞貴の顔を、正彬は痛ましい思いで見つめる。
 だがぎゅっと前を見て、強い決意を滲ませるその様に、一体なにを言えようか。「そうか」とだけ、正彬は相槌をうって、滑らかな頬に流れる涙を見ないフリをして、ただその頭に手を置いた。
 ……多少強引でも、正彬自身が二人を引き合わせることは簡単なことだ。
 最初はぎこちなく困惑するだろうが、花もあの性格だ。元のように笑いあうようになるのは時間の問題だろう。記憶が戻ろうと戻るまいと、関係はあるまい。
 だが、それは果たして本当に身勝手な押し付けとなりはしまいかと、躊躇わずにはいられない。どうにかして二人が一緒にいてくれて、自分がその成長を見ていたいと望むためではないかと。
 少なくとも、今ここで正彬が手を出すことは、瑞貴の気持ちを無視しすることには違いない。わずかでも『償い』に溺れた行為でないなどと、言い切れるだけの図太さは、なかった。
 たとえそれが、表には出されない、心の奥底の瑞貴の望みだと分かってはいても。
 ――だから。
「おめーがそういうんなら、オレも無理には言わねえよ」
 顔を俯けたままの瑞貴の頭を、正彬はくしゃりとなでた。
「でもまぁ、オレのところにはいつでも来いよ。……待ってるからな」
 その言葉におずおずと、瑞貴はそこで初めて振り仰ぎ正彬と目を合わせた。そのすがるようなひたむきな目をまっすぐに受け止めて、正彬は笑う。
「……うん……!」
 安心したようにくしゃりと崩れたその顔を見ながら、正彬は目を細めた。そして、瑞貴の頭越しに見える、咲き誇る凌霄花を……同じ『読み』を与えた大切な孫娘を同時に思う。

 ――これはまだ、幼い願いだ。

 自分が『ここ』にいられる間に、こいつが他に拠り所となる場所をみつけられるならいい。そうして花を望む思いも、思い出も風化し消えるのならば、それも仕方のないことだろう。
 だが、もし見つけられず、ただ追い詰められるだけに終始して、ただ迷い、耐え続けることばかりを願うようなら。あるいは――
(その時は、オレも覚悟決めにゃならんか)
 無理やりでも、コイツを暗闇から引きずり出すことを願うだろう。花も巻き込んで、あるいは死んだ梨々子すらも起こして。

 ――数少ない瑞貴が望むだろう『幸せ』と、そして己自身の願いを遺すために。

 高み当主にあることを求められながら、見上げる空を知らぬかのようにうつむき続ける少年の頭をなでながら、伸びやかに咲き誇る凌霄花を見上げる。
 その名が示す通り、物を伝いながらもひたすら空を目指して伸び上がり、ともすれば高い塀さえも乗り越えようとするその花。もしも再び瑞貴と出会うことがあれば、あの孫は同じように周囲にまきついて引っ張り上げて、かつてと同じように自力で乗り越えてしまうだろう。周囲の望みも何もかも離れた場所で、ただひたむきに空を思って。

 ――そう、だからこれは願いというよりも確信だ。

 あと何度、共に見られるか分からないその景色と、手の先にある温もりを意識しながら正彬は曇りない夏空を見上げる。
 澄み渡る青と、補色の橙の織り成す景色。
 その行き着く先を見届けられはしなくとも、正彬の目には確かな『希望のぞみ』が映っていた。






*霄は空を意味し、つるが空を凌ぐように高く登っていく様子から『凌霄花』と名付けられたそうです。
(ちなみに背景の写真は当然『凌霄花』)

 実際、おじいさんがお膳立てして和解という方法もなくはなかったと思うのです。
ただそれをしなかったのは、いろんな思惑ありつつも、何より瑞貴が望まなかったからだろうと。
(んで、最後の最期に思い切った、と自己完結してみる(ぉ)
2007/6/3 [ 出雲 奏司 ]

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