ふと彼女の『名前』を知りたくなった。 はじまりのきっかけは、ただそれだけ。
「"カズラ"って、"葛"って書くの?」 ひらひらと、花びらのようにはためく小さな紙を見せてそうたずねた少年に、『カズラ』の祖父は「おお?」と首を傾げた。 最近は老眼もひどくなり複雑な文字ではすぐには読めない。「ちょっと貸してくれるか」と受け取り、小学生が書くにしては、あまりにも複雑なその文字が「かずら」という読みを持つのだと気づくまで、少しかかって。ぽんと、『カズラ』の祖父は手を打った。 「ああ、『カズラ』の漢字か。おめえ、調べてきたのか」 よしよしと嬉しそうに頭をぐりぐりとなでられるのに任せて瑞貴の頭が揺れる。勢いよく洗濯機に放り込まれたようにぐるぐると振り回されて、バランスを崩して思わずしりもちをついてしまう。やりすぎたかと気づいた『カズラ』の祖父は、すまんすまんと軽く笑って瑞貴の頭に手を置くと、くしゃりと髪をなでた。 「せっかく調べてくれて悪ぃが、もっと簡単な字だ。多分『カズラ』もおめえも知ってる字だ」 「……ぼくも知ってる字?」 「ああ」 目を瞬く瑞貴に、『カズラ』の祖父は請け合って大きく頷く。 「『花』ってぇ字だ」 分かるか? と地面にささっと書かれた文字に、瑞貴は大きく頷いて。だが不思議そうにそれを指した。 「『花』って、『カズラ』ってよむの?」 「ま、当て字って言って、あんまり使わねえ読み方なんだけどな」 楽しそうに、そしてどこか自慢げに言いながら、瑞貴が書いた『葛』の横にさらさらと同じくらい複雑な文字を書く。 「『ノウゼンカズラ』っていう花があるんだがな、それを『凌霄花』って書くんだ」 そうなの、と分かったような分からないような声ながらも瑞貴はうなずいて。 「ま、もともと孫が生まれたら『花』って字を入れようとずっと決めてたからな」 「ふうん……」 男の子だったらどうしたんだろう、と思いながら瑞貴はふっと物思いに沈んだ。 (でも……そんなによろこんで、大事に考えて名前をつけてもらえるなら、それで女の子みたいに『花』なんて名前に入っていても、きっとうれしいだろうな) 自分を指すときに『カズラ』と言う彼女を思い出して、瑞貴は静かに微笑む。花の祖父は遠くを見るように目を細めて続けた。 「あいつが生まれるとわかった時、そいつが庭の垣いっぱいに咲いててなぁ、これしかねえって思ったもんだ」 そう言って、ひどく優しげに目を細める花の祖父を瑞貴はじっと見つめる。まるで、花の祖父の目には、その庭いっぱいの『ノウゼンカズラ』が見えているような気がして。 「見てみたかった……な」 ぽつりと、思わず漏れた瑞貴の言葉。 いつしか、花の祖父の遠くを見るような眼差しを辿るように、同じ場所を見ていた瑞貴の頭にぽんと大きな皺だらけの手がのせられてくしゃりと撫でる。 「花がくる夏休みにまた一緒に見りゃいいさ」 「見られるの?」 身を乗り出すように目を輝かせた瑞貴に、「ああ」と花の祖父は笑って。秘密めかして言葉を続けた。 「そうさな。案外ばーさんにも会えるかもしれん」 「え……でも」 お祖母さんは亡くなっているはずじゃあ。 言葉にしなくても瑞貴の言いたいことを察したように、花の祖父は呵々と笑った。 「姿が見えなくても、何にも言わなくてもな。今ごろは花になって見守ってるかもしれねえだろ?」 なんせ、そこらの花よかよっぽど綺麗だったからな。そう言って花の祖父は目を細める。 (どうして――) 亡くなった人のことを、そんな風に穏やかに思って微笑えるのだろう。 もう幾度も感じた疑問は変わらなくて。そしてその言葉の持つ意味の深さも、瑞貴には分からなかったけれど。 なんとなく、この家にたくさんの『花』がある理由が分かった気がして、瑞貴もつられるように笑った。 *序章。じーちゃんと瑞貴の連作です。ちょっとこれは短めですが、他はそれなりに長く……なるかな? 元々はそれぞれ独立で書いてましたが、どうもつながってしまったので連作に。全部でこれ含めて4つになるかと(多分)お付き合いいただければ幸いです。 そして見ての通り、色々捏造しまくりになると思いますので、苦手な方ご注意下さいませ。 |