――また、見ることになってしまった。 散りゆく薄紅の花びらを見上げながら、音にならぬ声で呟いた。見上げる視界に僅かにかかる前髪を風に遊ばせて見る情景は、大きな変化は訪れてはいないが最初に見た時からすでに両手の指に余るほどの年数が経とうとしている。 蒼空の中に浮かぶ譜石帯のなかに、この時間の止まったような箱庭で形よく整えられている花木を見上げる。バチカルでもこの屋敷のものが一番美しいとされる花。はじめてきた時から片手でゆうに余るほどの時間がたった筈なのに、その情景は殆ど変わっていないことに気付き自嘲するように笑う。 今年こそこれを見るのが最後だからと――何度、そう思って見上げただろう。 そして寄りかかる手摺りは、いつしか今は無き故郷よりも慣れ親しむだけの月日を過ごしてしまっていた仇の館のそれ。 「――ガイラルディア様」 殆ど聞くことのない本来の名。びくりと肩を震わせ、反射的に周囲に人がいないことを確認する。その様を見取って、声をかけた庭師――ペールは、穏やかな表情で「私どもの他は、誰もおりません」と笑いながらガイラルディアの傍らへと歩を進めた。 「今年もまた、見ておられたのですか」 「……ああ……」 悔しげに、忌々しげに、戸惑いに、躊躇いに―― 言葉に滲んだどの感情が確かだろう。先程まで目にしていた花弁の、はっきりしない色彩に惑わされているような気がしてガイラルディアは目を伏せる。 「案外、うまく行かないものは多いもんだな……毎年、毎日、思うたび毎に、幾度も同じことを誓うのに」 経ちすぎた時間が告げる感情は、いかようにもその色を変えてしまいそうだった。 どれほどの時を経ようと、薄れることなど、ないと思っていたのに。今年もまた、見上げてしまっている事実。 唇をかすかに噛めば、ペールは咲き始めたその樹を見上げ口を開いた。 「花々は、手をかけさえすれば毎年同じように咲いてくれます。……何度でも」 この屋敷に来て以来、見上げた樹を世話し続けていた庭師が言葉を続ける。 「それでも、本当に僅かな違いかもしれませんが、毎年少しずつ同じ種類であっても、同じ樹であっても、咲く花はどれ一つとして同じものではなく、違うものです」 長く庭師を務める者の言葉に、痛みを感じたかのように顔が歪む。 「なあ、ペール」 やはり、去年までとは僅かに違うだろう花を見上げて。庭師に問いかける。 「……俺がここにいることは、裏切りか。甘さと思うか。それとも――」 「ガイ! ペールもこんなとこにいたのかよ」 薄紅が踊っていたはずの空間に、鮮明な紅が翻る。それは、幾度となく手にかけることを望んだはずの、偽りの主人のもの。 「ルーク――」 駆け寄る姿を前に、ガイラルディアはとっさに取り繕うことも忘れ言葉を失う。 今ならば。露ほども自分を疑うことをしないこの赤い髪の少年を、手にかけることは容易い。 ごくり、と。喉が鳴る。 偶然か否か、抜刀しやすい位置に帯剣している。戯れによくやる剣舞のようにそれを翻せば、長く物思いに沈ませていた惑いも失せる。ペールも、止めることなどしないだろう。 口の中がからからに干上がっていくのを感じながら、剣の柄へと手を伸ばしかけて。 「探したぜ!」 そんな言葉と共に、ばっ、とその手は勢いをつけた両手にとられる。顔を弄るほどに近く舞う、長い赤い髪と鮮やかな緑色の瞳。そう、息を切らせ目の前まで来た主人――ルークは、いつものように頓着せず声をかける。 「さっきラムダスが探してたみたいだぜ。ペールはまた土いじりか?」 「ええ。これからが咲き頃ですから、手が足りず手伝わせておりました」 たとえどんなに短い時間であろうと、よぎった殺意に気付いていなかったわけがないだろうに。それは何一つ違和感を覚えさせないほど見事な返答だった。 息を呑み動揺を隠せないままのガイラルディアを、にこやかな表情でペールは振り返って。 「すまなかったな、ガイ。助かったよ」 全く動揺もせず答えを返すのは年の功か。機転を利かせたペールに無言で答えを促され、ガイラルディアは曖昧に頷く。 「あ、いや……ああ」 「じゃーなっ! 怒られる前に行くぜ、ガイ!!」 無邪気さゆえの横暴さと強引さと、素直さと。勢いよく駆ける声に引き摺られるように足を運びかけたその時。 薄紅を乗せた風と共に、穏やかな声が耳を打った。 「先ほどの答えですが――」 はっと反射的に振り返ると、声と変わらぬ穏やかな表情がこちらを見ていた。再度自分を呼んだ幼い子供のような主人の声に引き戻され、それが見えたのは一瞬だったが。 決して大きくはない声なのに、はっきりとその言葉は届いた。 「ご自分で、お決め下さい」 ――いずれを選んでも、わたしは従います。 最後にそう聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。 音なき声と、その答えに。ガイラルディアは背を向けたまま頷いた。 >>after few years..."to CODA"