お子様達で遊んでみよう


 ――じゃあ、人前とか気にせず単純に昔みたいにすればいいってコトよね。
 提案を持ちかけて、そうイタズラを楽しむように応じた律子の言葉を思い出して、灰人は苦笑した。
「――ここまで『昔通り』やるとは思わなかったがな」

そのよ−その後で


 パタンとリビングの扉の開閉を花に手伝ってもらい見送られて。ズルズルと座り込む影2つを扉にはめ込まれたすりガラス越しに見て、灰人はクツクツと珍しく喉を鳴らして笑った。
「……とんだファインプレーだったな、律子」
 寝ていることは知っていたが、そう声をかける。それにしてもアレはゆかいな反応だった。「大丈夫か」と聞きたいくらい引きつった表情をしていた二人の顔を思い出して再び笑いそうになりながらも、確かに少々やりすぎたかなと灰人は思う。だが本来目的としていた事――灰人と律子をくっつけようと妙な算段を繰り返す事に対する牽制――としては十分すぎる効果にはなっただろうからいいだろう。少なくとも、精神的ダメージだけでもアレなら釣りが来る。
 しばらく歩いたところで灰人は抱え直すかと足を止めた。こっちも色々思惑があって昔さながらに甘やかし、とりあえず視覚的に色んな意味でダメージのあるだろう横抱き――いわゆる『お姫様抱っこ』をしていたわけだが。ただ、これはあまり移動に効率的な抱え方とはいえないし、部屋の入り口でぶつけかねない。
 肩に担ぎ直すかと一度下ろそうとして、灰人は袖を掴まれていることを思い出した。
「律子、放せ」
「や……」
 眠る律子の腕を軽く叩くと、いやいやするように律子は首を振る。最初から素直に放すと思っていなかった灰人は、落ち着いて次の手を打った。
「ほら、握るならこっちにしろ」
「……ん……」
 差し出されたのは律子が来ている自身の折り返した袖口を戻した余分なのだが。その代わりのものでもちゃんと納得して握り、律子は素直にいうことを聞く。流石に何度もこういうことがあれば、それなりにこういった対処法もある。
 ……まあ、あえて瑞貴と花の二人には教えなかったが。
 しっかりと袖口を握り直すその手を見て、灰人はさてと後のことを算段する。これで放さなくて身動きが取れないという状況は実はありえないのだが、言わなければあの二人にわかるはずもない。確認にくる度胸も、あの動揺ぶりなら十中八九ないだろう。幸い客室には内線がある。口頭で伝えて、戸締りでも頼めば後は勝手に二人自滅するといったところか。後は適当な頃合をみて自室に帰ればいい。
「……しかし本当に、ここまで変わらないのもどうなんだか」
 灰人は無邪気に頬を摺り寄せて眠る律子を抱えて、そう苦笑を洩らした。

『ヤダよ……どこにも行かないで』

 ――眠たい時にだけ、こんな甘え癖があるのだと見つけたのは、そんな言葉が始まりだったか。
 普段、律子はそういう種類のわがままを言うことはなかったから、はじめてそういわれた時灰人は随分と驚かされた。
 金を無心する時以外は寄り付かない父親と、それによる借金を僅かでも減らそうと仕事のためやはりほとんど家にいられない母親。そのため律子が家で一人きりになるような日は珍しくなく、心配して『ウチに泊まっていかないか』という灰人や母に「だいじょうぶだよ」と胸を張って快活に笑い飛ばしているくらいだったのだから。それに、律子は決して不必要な遠慮をするタイプではない。最初こそ灰人とは互いの気持ちを量りかねて遠慮する節もあったが、妙な壁もなくなったそのころにはきちんと自分の気持ちを言うことを躊躇うことはない――少なくとも灰人はそう思っていた。
 だからこそ、最初にその言葉を聞いた時、灰人はまず自分の耳を疑った。その時側にいた母共々、穴が開くほどまじまじと律子を見つめて。そんな態度の灰人に対して、律子は心細そうにもう一度どこか舌足らずな口調で呟いた。
「灰人クンいかないで」
 はっきりと灰人の名を呼ぶところをみると寝言ではないらしい。ぎゅっと小さな手が、自分の服の裾を握って放さないのを、灰人は困惑と共に見下ろした。居間でうたた寝した律子を、母に頼まれ布団まで運んで寝かせるために一時的に側を離れる――というより、その場に立ち上がろうとした。ただ、それだけのつもりだったから、余計に面食らった。
 どういうことなのだろうと、思わず眉を寄せた灰人の内心の問いに答えるように、律子は再び口を開いた。
「ひとりはヤダ……」
 今にも泣きそうでいて切実なその声音に、灰人の母はふと目元を緩ませて。灰人の服を握り締めるその小さな手に自分の手を重ねて、空いた手でゆっくりと律子の頭をなでた。
「ねえ律子ちゃん。律子ちゃんはどうしたい?」
「ひとりでねたくない」
「そう。じゃあどうしたらいいかしら?」
 そう問われて、律子は眠気にかためらいにか忙しなく目を瞬いて。でも灰人の服を握る手は変わらないまま、なでられる手に促されるように自分を見つめる二人へと顔を上げた。
「一緒に……寝てもいい?」
 恐る恐る窺うように言われた言葉に、灰人の母は随分と嬉しそうに笑って。
「もちろんよ。おばさんも灰人も律子ちゃんと一緒に寝ましょうね」
「……ホント?」
「ええ。ね、灰人」
 期待と不安の入り混じった律子の目と、その隣から『まさかイヤなんて言わないわよね』と言わんばかりの母の視線に晒されて、灰人もまさか肯定以外の返事ができるわけもない。
「……うん」
 半ば驚きに流されてしまったと言う感じだったが、その言葉に本当に安心したのだろう。いつも以上にあどけない笑みを浮かべて嬉しそうにぎゅっと手を握りこむと、そのまま律子は目を閉じて。泣きそうに震えていた吐息は、健やかな寝息へとすり替わった。
 起こったことの状況がいまいちつかめないままで呆然としている灰人に、やけに対応が早かった母親はその後静かに理由を語り始めた。
「最近律子ちゃん、あなたにも随分懐いてたでしょう? もしかしたらって聞いてたの」
「……何を?」
「眠たい時だけね、とっても甘える時があるんですって。普段いえない分だけ出てしまうのかしらね」
 愛しげに小さな身体に乗った頭を撫でて、灰人の母はそう言って。少しだけ目を曇らせた。
「本当は、そんな我慢なんてしなくてもいいのにね。子供は親に甘えて育つものなんだから……灰人、あなたも」
「――――」
 どう答えていいか判らず沈黙すると、くすくすと母は笑って。
「なんて、お父さんが聞いたら渋い顔するでしょうけど――律子ちゃん見てると不思議ね。本当にあなたの妹みたいにみえるわ。最初はどうなる事かと思ったけど」
 そこでは母一度言葉を切った。どこか張り詰めたような表情で見つめられて、灰人は目を瞬く。
「ねえ灰人――ここまで信頼されるのは迷惑?」
 その言葉に灰人は即座に首を横に振った。心から慕ってくれるその思いを厭った事は一度もない。可愛いと思いこそすれ、どうして迷惑と思えるのだろうか。
 迷いなくそう否定したことに安心したように母は「そう」と微笑んで。「じゃあお願いね」と残った家事を片付けに離れた。
 ……今にして思えば母は危惧していたのだろう。当時から、灰人はどこか醒めて物事を見ている自覚があった。乾の役目を思えば『向いている』その性質も、だが人間的な性質を考えれば問題だったろう。だが、律子を可愛がる事を通して、ようやくまともな感性が育ってきたのだと安心したのかもしれない。
 たとえそれが表に出難いというだけであれ、あまりにも関心を持つことが少なかったことは事実だから。

 そしてそれ以来、そう律子が甘えることは何度かあった。その度に、灰人は『何がしたい?』『どうして欲しい?』と甘えるように促がした。それに律子は素直に答えてみせるものだから、面白がっていた節もある。といっても、律子が望んだのは、大抵「抱きしめて」だとか「抱っこして連れて行って」だとか「一緒に寝たい」という可愛らしく他愛ないものばかりだった。
 やりすぎれば問題だったろうが、灰人も必要以上に甘やかすつもりはなかったし、律子もそれは望まなかった。ただその一つだけの例外が、コレだったと言うだけ。だからいつしか暗黙の了解で、このときだけは灰人はねだられればいつでもその求めに応じるようになった。
 そして成長するうちに必要なくなったからだろう。その回数は徐々に減り、その甘え癖は小学校の高学年くらいからはぴたりとなくなり今に至っていた――ハズなのだが。


 肩に担ぎなおして灰人は深く溜息をついて、つい最近ひょんなことで律子の家に泊まったときのことを思い出す。『朝までまったく放す気配がなかった』とそう瑞貴に言ったことは、誇張でもなんでもなく真実だ。
 まさかこの歳に――大人になってまでやるとは思わず、流石の灰人も久々に目の前でやられたときは驚かされた。どうやら酒を飲むことで何かの箍が外れやすくなっているらしい。ある意味昔よりも甘える度合いが高くなったのは、どこかであった遠慮すらアルコールのため飛んでるせいだろうか。
 逃亡先のロスでも色々苦労をかけてしまっただろうからその反動なのかもしれない――とは、泊まった折にやはり今日とよく似た律子の様子を一部始終を見ていた律子の母親の言だ。「貴方には本当に甘えるのね」――そうしみじみと言われてあとを任せられてしまい、正直信用されているのか、それとも妙な誤解をされてるのか当初は真剣に頭痛を覚えた。昔のやり取りや勝手を知っていることを考えれば、前者なのだろうと結論付けたが。年齢が年齢だけに確信はない。
 望まれれば応じてやるうちにそのうち習慣にまでなってしまい、珍しくもなんともなくなってしまった結果がコレだから、まあ半分は自業自得ではあるが。灰人自身は信用されているのを裏切る気はさらさらないが、他の人間相手でもこうも無防備にこんなことをしているかもしれないと思えば、やはり心配にはなる。
 大体、アルコールにはさほど強くないとは判っていたからこっちも気をつけて大して飲ませなかったはずだが、それでもここまで弱いとは。一体普段はどうしているのか。社会人なら飲み会など日常茶飯事だろうに。
(せめて許容できる酒量を自覚させないとな……)
 そう思って深々と溜息を吐く。ある意味自業自得といえなくもないが、それにしたって普通こんな心配までさせるか。
「……いつまで俺に責任を取らせるつもりだか」
 口にして、小さく笑った。こんなことをあのお子様の前で言えば、更に誤解を呼びそうだと思う。案外喜ぶのかもしれないが……そう思って微笑が苦笑に変わる。
 お子様たちの思惑に、灰人自身思うことがないではない。それぞれの立場を思えば、そう思う気持ちもわからないでもなかった。実際、恋愛感情の有無はさておき互いに気の置けない関係であることは確かだ。現時点で『一緒に暮らす』という意味ではこれ以上の相手はないだろう。
 だが、律子が天原でどう言われどんな目にあって扱われていたかを思えば、そう易々とのせられてやろうとも思わないし、思えない。だから本当はこんな回りくどい手を打たなくてもその事情を話せば、彼らもまずこちらをくっつけようなどとは考えなかっただろうことも知っている。
 だが、その手段は律子とも口にすることなく暗黙の了解のもと却下された。わざわざ話すことでもなければ、律子の方もそんなコトで余計な負い目を感じさせて、これまでの様な付き合いが出来なくなることは本意ではないだろうから。
 どうやら自分は年少の人間には甘いらしいと、現在進行形で行っていることは棚に上げて灰人はそう嘯いて。たどり着いた目的の客室の入り口を開けて、ひとまずしかれた布団と内線の位置を確認する。
(さて――)
 ともかくも予定外の出来事ではあったが、十分すぎるほど本来の目的は達成できた。
 本当はここまでやる気はなかったが、多少とはいえ、酒を勧めた時点でこの結果が見えていたような気がしないでもない。
 特にそうしようと意識してやったわけではない律子が一番性質悪く手に負えないだろうが。一番の狸は自分かと、灰人は微かに笑う。せっかくの好機を生かさない方がおかしいから別にそうでもないかとは思うが。
 現時点でも十分だろうが、ついでだからトドメでもさすかと灰人は律子を抱えたまま内線を取り上げて親機を鳴らす。
「ああ、悪いけど――」
 程なくしてつながった先では、予想通りの慌てた声。それを聞けばそれで十分だとばかりに一方的に用件を告げて、相手が我に返る前に切る。今頃二人して引きつってどうするべきかと青くなりながら混乱する様が目に浮かぶ。直接見られないのが残念だ。後は頃合いを見て自室に戻ればいい。そこまでしなくてもどうせ確認に来るだけの度胸もないだろうから、そのまま自室に戻っても問題はないかと思う。仮に確認に来たところで、後からなんとでも言い訳は立つ。
 そう思い、さっさと済ませるかと、灰人は準備されている布団に下ろそうと、肩に抱えていた律子を一度腕に抱えなおす。と。
「あったかい……」
 寝言だろうが、ふと漏れたその呟きに起きたかと顔を覗き込めば、幼いころそのままの寝顔の笑顔。思わず笑ってしまってから用意された布団に寝かせる。すると、布団が冷えていたのか「つめたい〜……」と呟き眉を寄せて、再びぎゅっと灰人のパジャマが握りこまれる。
「…………」
 そのままの姿勢で、暫く灰人は無言で眺める。
 この手を放す方法を、知っている。それは、今これに限ったことではなく、律子との付き合いにしてもそうだ。
 いつまでも昔のような年の離れた可愛い妹のように扱うわけにはいかないし、実際普段は昔よりも対等に互いに接している。瑞貴がやけくそ交じりに叫んだとおり、たとえ時々であろうがこんなやり取りを当たり前のようにするのが当然ではないだろうし、いつまでも続けていられるとも、続けていいとも灰人とて思っていない。お子様たちをやり込める目的も果たしたことだし、この場もさっさと退散するのが多分一番正しいだろう。
「――放せ、律子」
「んー……や」
 廊下でもやったやり取りが再度繰り返されて、律子は寝ぼけ眼で更にぎゅっと握った手を自分の方へと引っ張る。放す気配は一向になく、何が不満か唇を尖らせているようにも見える。
 なんとなくあやす気分で頭を撫でると、僅かにその表情は改善されるが、パジャマを掴んだ手の力は一向に緩まない。何度かそれを繰り返し再び握られ引っ張られた場所に目を落とした後、灰人は軽く吐息して。やがてその手に引っ張られるように隣へ転がり横になった。それを待ち構えていたのか、それとも熱源に引き寄せられたか。まるで猫のように律子が擦り寄る。そうして布団に下ろしてからどこか不満そうな表情だった律子の口元に、ようやく落ち着いたかのように浮かんだ満足げな笑み。それに、灰人も微笑を浮かべる。
(……結局、こうなるか)
 幼馴染と言うには近すぎ、だが恋人同士でもない。家族ほどに距離は近いが、決して家族でもない。どれほど事実の元の正論や言葉を連ねたところで、しっくりする表現などないが。これが自分たちにとっては一番自然な形だと。ぽんぽんと灰人は律子の頭を撫でる。
 どんなに親しかろうと当たり前とは言い難いやり取りも、お子様二人をからかうのとはまた別に、楽しんでいたのは事実だ。普段そういった意味では甘えようとしない律子のわがままを聞くのは、昔から意外に嫌いではなかった。そしてそれはどうやら今も変わらないらしい。こうも無邪気に甘えられる、昔と変わらない信頼と愛情に、多少は弱いのだろうとも思う。
 ――少なくとも、傍にいることで見られる笑顔や裾に取りすがるこの手を振り放せない程度には。
 だから、自分から積極的に離すつもりにはならない。少なくとも今はまだ。
 とはいえ瑞貴に言ったとおり、無邪気に熟睡する相手に手を出すような趣味の悪さはなく。そもそも、そういう対象と見るにはあまりに近い。
 いずれそれが変わるときもくるだろうが、その時はその時だ。それがどんな形の変化なのか、推し量ることはできないが。必要になれば変化は自然と訪れるのだろう。
 かつて、律子が少しずつ甘えることを必要しなくなって、一度はぴたりと治まっていたように。
 きっと、一番自然と思える形に変わっていくのだろうから。
 隣ですっかり落ち着いた様子でくぅくぅと眠る寝息に誘われて、灰人も軽くあくびをする。ぼんやりと残っていた片づけやするべきことが気にならなくもなかったが、まあいいかと思う。
 残っている雑事は明日にでもまとめてすればいい。なんなら手を煩わせた罰に、律子にも手伝わせればいい。それにどうせ時間などたっぷりある。考えることにしろ、することにしても。
 『こき使ってやるから覚悟しとけ』と思いながら、こうまで近く互いの体温を分け合うほどでも、やはり懐かしさ以上の感情にならないことに、我ながら苦笑じみた思いがないでもないが。
 まあ、互いに許される限りはそばにいて温めるのもいいだろうと、握りこまれた服の裾をそのままに、寝こける律子の頭を腕に乗せて、灰人はゆっくり目を閉じた。


-End-

comment

*時系列順では書くに書けなかった「-そのよ」の灰人さん視点の番外。別名、律子さんがなんでああだったかこじつけ的言い訳話。
あの時点では最後まで書くか微妙で決めてませんでしたし。どっちにしてもネタバレ(オチバレ)になるしと書くのは保留してたわけですが。
ありえなさ過ぎて痛い。これじゃ本気で灰人さん不能だよ。枯れるにはまだ早い歳でしょ!?<黙れ
 そして裏の方見てる方には、嘘臭さ120%な話な気がしますね……(遠い目)パラレルだから当たり前っちゃそうなんですが。むしろあっちが個人的には本筋っぽいですが(ぇ
 本当はこっちの方を先書いていたから、苦しくもパラレル展開という位置づけにしたんですが。まだあっちの方が説得力ある気がします……
 裏を読んでない方で、こっちの灰人さんや原作のイメージぶち壊したくない方はこれのパラレルな『蟻地獄』(注:裏直通・要パスワード)以降の創作は本気で読まないことをお勧めします。<タイトルからしてアレですしね(薄ら笑い)

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2008/08/13 初出 [ 出雲奏司 ]

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