代名詞  <Tales of the Abyss <TOP


 一度目は醜悪とも呼べる異形の姿で。そして、その次はエクスフィアに浮かぶ半透明な映像として。
『あの子を連れ、て、ここ……から、離れて、ください』
 どちらの時も唐突に現れたそれらは、同じものを守ろうとしていた。
『どうか、あの子を――』

 紡がれた言葉と、その思いが一致したその時、その二つが同一人物であり、連れ帰った子供の『母親』だと確信した。



  代名詞 -- Calling again.




「オヤジ、子供なんかいたのかい?」
 久しぶりにやってきた知人の言葉に、「お前さんにオヤジ呼ばわりされるほど老けちゃいねえよ」と返しつつダイクは盛大な溜息をついた。
 どうやら迎え入れた時に「客が来てるから、帰るまで奥で待ってな」といい含めていたのを見られていたらしい。説明が面倒な為それとなく隠すようにしていたのだが。説明を求める目線に、仕方なく曖昧に答える。
「ついこないだからだが、ちょいとワケありでな」
 苦笑交じりに言葉を濁して答えると、へぇ、とあまり突っ込む気はなさそうにその"客"は相槌を打った。それほど関心がなかったのか。……あるいは洞穴近くにあった真新しい盛り土に気付いていたからかもしれない。
 そこまで考えて、内心で舌打ちする。素通りするにはまだ新しく生々しすぎた記憶に、胸の奥深くにベトリと何かが張り付いた。
 気付きたくなかった感触を誤魔化すように、せいぜい明るく笑い飛ばしてみる。
「最初のうちは顔が怖いってさんざん泣かれてな。耳が遠くなっちまうかと思った」
 冗談めかしていうと、「違いない」と相手も笑った。
「まあ子供には見慣れてないものを大概最初は怖がるからな。同時に好奇心も強い。すぐ慣れたんだろ?」
「ああ、なんとかな。短いんだろうが、こっちにしてみりゃようやくだ」
 しみじみと実感を込めて頷いてみせると、全くだと覚えがあるのか同意してきた。「まだまだこれからが大変だぞ」と冗談めかして告げられた言葉に、ほんの僅かだけ筋肉がこわばる。『これから』。考えていなかったわけではないが、ためらいを感じさせる言葉。
 それに気付いたのか気付かなかったのか。問いは続けられる。
「オヤジひとりで育てんのかい?」
「さあな……どうなるかはわからねぇ」
 誤魔化すようにそう答える。決めかねている内心を察したのか、ただ「そうか」と言う返事が返る。必要以上に詮索はせず、客は出された茶をぐいっと一気に飲み干した。
「じゃ、俺も耳が遠くなる前に退散させてもらうわ。坊主からオヤジ取り上げるのも悪いしな」
 冗談か本気か掴みづらいことを言いながら、ひらひらと手を振った客の言葉に、「よせやい」と言いながらも出口まで見送りに出た。洞穴を住処とするダイクの工場に窓はない。扉をでてそこで初めて時間を知ることになる。日は大分山の端に傾き、数刻と待たず夜になることは明白だった。
 思いがけず過ぎていた時間に、ダイクは唸る。
「大丈夫か?」
 このままでは夜の森を越えて帰ることになる相手に、ダイクは眉をしかめて見せる。いくら慣れた場所であっても、普通夜の森で行動することは自殺行為にも等しい。消極的にではあったが泊まっていかないかと言うと、相手は笑いながらもきっぱりとその提案を辞退した。
「なあに、慣れたものさ。気持ちだけありがたくもらっておくよ」
「甘くみねぇほうがいいぞ?」
 さほど広くないとは言え、慣れぬ者ならば簡単に遭難に遭う程度の広さはある森だ。なおも懸念を口にしようとするダイクに、相手はただ首を左右に振った。
「危険は承知なんだが、急がないと約束に間に合わない」
 怪訝そうな表情で何があるかと問うと、相手は破顔する。
「もうすぐ息子の誕生日なんでね。こんな稼業だから、普段一緒にいられない分祝ってやりたいんだ」
 それに、それが約束だからな、と続けて――だから急ぐのだと。当たり前のようにそう告げた男の言葉は、いつものダイクならばさもありなんと受け止めているものだったろう。
 だが、それに答えるべき言葉を、その時はなぜか見失った。
 結果絶句したダイクの前で、何を考えたのか男は笑う。
「親なんてぇのはそんなもんよ」
 こいつもオヤジに鍛え直してもらったし心配ない、と傭兵である知人は腰につけた剣を軽く叩いて。迷った末、ダイクも笑う。
「そこまで言われちゃあ止められねえか。まあ、気ぃつけてな」
「ああ。世話になった。オヤジも坊主によろしくな」
 じゃ、と軽く片手を挙げて、足早に立ち去る相手を見送った。
 遠ざかる背に重なったのは、なぜか先日見た半透明の人間の女。
 複雑な思いで鬱蒼と生い茂った森の木々の間から見て取れる空を見上げると、先ほどまであったらしい赤みが薄れ、白と蒼の中で揺れていた。後もう数十分もすれば日は完全に暮れてしまうだろう。
 まだ多少でも日のあるうちに平原近くへまで出られればいいのだが。『約束がある』と言った知人の破顔した表情が思い出される。
「『息子』か……」
 口をついた言葉と共に、連鎖するように意識の底にこびり付いて離れない色彩が脳裏を支配していく。それは、この地に生い茂る草木とは異質な濁った緑と、あまりに対照的で不気味さを覚えた鮮やかな真紅。
 ほんのつい一週間前に、その色彩に覆われたモノから同じような言葉を聞いた。我が子を守らんと乞い願う、自然には生まれざる姿の……しかし人の親の切なる叫び。とりたててエクスフィアについて造詣が深いわけではないが、恐らくはあの毒の所為であのような姿になったのだろう。持っていって壊してくれと言ったことを考えれば、この石があのような状況を作り出した――少なくとも原因の一つである事は想像に難くない。
 結局乞われるままに、そのエクスフィアと子供を連れ帰ってかれこれ一週間が経つ。何度かそこそこ交流のあるイセリアの村へ子供を連れて行き、村人に預けることも考えた。
 しかし子供を守るように行動していた大きな耳を持つ動物が持ち帰っていた「人間牧場」に捕らえられた者に付けられると言われているチョーカー――ボロボロになったそれから、数字のようなものと辛うじて『アンナ・アーヴィング』と読み取れた――を見つけ、イセリア牧場からの脱走者だったのかもしれないと言う疑念が持ち上がった。そしてそのことが、本来真っ先に向かうべきであろう、子供と同種族の"人間"の住むイセリアの村へ連れて行くことを躊躇わせた。
 『神託の村イセリア』。神子の血族の住むそこは、ディザイアンと不可侵の条約を結ぶ稀有な村でもある。もしも、あの子供が人間牧場の脱走者の子供と知れれば到底無事に済むとは思えない。下手をすれば村の平穏と引き換えに、子供の命を差し出すことも厭わないかもしれないという危惧があった。そんな事になるのは信条としている『ドワーフの誓い』にも反するし、それを引き合いに出さなくても寝覚めも気分も悪い事はこの上ない。
 そういった経緯で、どうする事もできずただ日は過ぎた。両親がいないこと、見知らぬ慣れぬ環境に、そして自分の顔が怖いと泣き出す子供を何とかなだめて共に過ごした一週間。苦戦はしたものの、互いに勝手が分かり始めてくるほどの時間。
 一時的に預かると言う期間としては、そろそろ潮時ではあった。
 そう、その先をそろそろ決めなければならない。
 ――子供を引き取るか、否か。
 単純に考えればそれだけの選択。どうすればいいのかも頭の中ではおそらく分かっている。ただ、実行に移すことに恐れと戸惑いが付随し動けないだけ。
 だが、そこまで分かっていても、捉えどころのない迷いがただ募る。

『お願いです、私の大切な――』
『親なんてぇのはそんなもんよ』

 こびり付いた『親』であるものたちの声が、頭の中で響く。はたして、彼等と同じ様な『親』となるだけの資格が自分にあるのだろうかと。同情や興味だけで、引き取るのでないなどと誰が言えよう。
 煮詰まりそうな考えに後にしようと頭を振ると、近づいて来るパタパタという軽い足音が響いた。ここ一週間で大分聞きなれてきた音に振り返ると、薄暗い穴蔵の奥から近づいてくる小さな影。小さな体の割にはしっかりとした足取りでこちらに駆け寄る姿に、ダイクの頬が自然と緩んだ。
「坊主か?」
 それは問いかけと言うよりは確認に近い。暗がりから「うん」と答えるのは、耳に馴染みつつある高い声。
 ダイクは駆け寄る足音にその場に立ち止まり、その場で子供を待った。やがて出てきたのは鳶色の髪と鮮やかな同色の明るい瞳。
「『オキャクサン』、かえった?」
「でてきてもいいよね?」と、呼ばれる前に出たことを怒られると思ったのか、小さな肩を縮めるようにしてこちらを見上げる子供の頭にぽんと手を置いて。
「ああ、いい子にしてたな」
「うん!」
 ぱっと、不安そうにしていた表情が明るいものに変わる。この子供の表情と行動は、まるで鍛える時の鋼のようにぐるぐるとめまぐるしく、そして唐突にその形を変えていく。
「ねえオヤジ」
 まるでそれが当然のように出て来たその言葉に思わず体が止まった。ついさっきまで抱いていたためらいを見透かされたような気分になって、思わず聞き返す。
「今、なんて言った?」
 できるだけ、何気ないようにと意識するほど動揺してしまった事は認めざるをえないだろう。豊かな眉に普段は埋もれるようにして隠れている穏やかな瞳がその存在を主張するほどに。
 それとは対照的に、子供は感情に素直に目を瞬く。
「『オヤジ』なんだよね? オキャクサンがそういってた」
ちがうの? と、ちょこんと首を傾げるようにこちらを見上げる。純粋な疑問を浮かべるその表情。
 実際に、何の意図もないだろう。不思議そうに見上げる焦茶の瞳は、なんの躊躇いも不安もなくこちらを真っ直ぐに見ている。それは幾度も泣かれてなだめ続けてようやく得た、真っ直ぐな眼差しだった。それを失いたくはないものだと思い、唐突に泣き笑いのような思いに囚われる。
「……そうか、『オヤジ』か」
 そう口にして、唐突にあることに気付き、子供の頭の上に乗せていた手に熱が生じる。どうしようもなく笑いがこみ上げてダイクは声もなく笑った。
 躊躇っていた一歩を、子供のほうが先に踏み出してしまった。「オヤジ」と言う、絆の代名詞。それを認め、呼ばれてしまったのだ。ならば覚悟を決めるしかない。たとえ、それが意図したものでは、まして偶然でしかないものであっても。少なくとも、自分が踏み出す理由は、それで十分だ。
 ふっと勢いよく笑うように息を吐き出して、次の言葉を出す為に肺に新しい空気を満たす。
「よぉし! 今日から俺がオメーのオヤジだ。わかるか? オ・ヤ・ジ」
「オヤジ?」
「そーだ、オヤジだ。これからはそう呼ぶんだぞ。……できるか?」
 確認する声が滲むように揺れた。それは最後の躊躇いだったのかもしれない。
「うん! オヤジ!」
 しかしそれも、元気良く答える声に霧散する。何の屈託のない笑顔に僅かに罪悪感めいたなにかが湧いたが、迷うことはなかった。そう、その名に恥じる思いは、何もない。
「よし、いい子だ」
 くしゃくしゃと頭をなぜると、子供は嬉しそうにされるがままに笑って。そのなかに混じってきゅるきゅると別の音が自己主張した。見合わせた顔よりもずっと下の方から聞こえてきたそれに、二人揃って破顔する。
「オヤジ、おなかすいた」
「そうだな。客ですっかり忘れてた」
 つかえが取れたためか、ダイク自身も急に感じ始めた空腹に、客が手土産だと持ってきていたベア肉を思い出す。
「よーし、じゃあ今日は豪華に肉でも焼くか! テーブルの上においてあっから、とってこい」
「おにくおにくー!」
 外で焼いてやるからよと言えば、とたんに目を輝かせて万歳するように手を上げると、子供はパタパタと洞穴の中に駆けていく。
 それを長々と見送りながら、ダイクは大きく息を吐き、火を熾すための木切れを拾い上げる。しかし考えるのは、夕食よりも先のこれからの事。
 まず家を作らなければいけないだろう。この穴倉では、二人で暮らすには狭く、成長する子供には小さい。人間の住む家に近づけておいた方が、後々都合も良くなる。
 そうしてもう少し大きくなったら話してやろう。母親のこと、いるだろう父親のこと。そして遺されたエクスフィアも要の紋を作って渡してやるのだ。あの母親は壊す事を望んでいたが、あれはあの子供にとってはかけがえのない形見だ。それに使い方さえ誤らなければ、この森に暮らす上で必要となり、またこの子供自身を守るものにもなる。
「こりゃあ明日から忙しくなるな」
 困ったように頭をかきながら、これから必要になることを指折り数え苦笑して。それでも緩む頬は誤魔化せないまま言葉は続く。
「まあ仕方ねえか。あいつの『親父』になっちまったんだからな」
 多分、その代名詞にあるのはそういうことなのだ。大切に、守りたいと思わずにはいられない、理屈抜きで与えたい、守りたいと願う愛情をもつこと。少しの間でも共に暮らしたことで生じた、つかの間の錯覚かもしれない。真実愛し育んで来た親に代われるとは、いや代わろうとは思えない。しかし、今感じるこの思いは嘘ではないと言いきれる。だから。
 ふと目に入った、周囲より土の盛り上がったその場所を向き、ダイクは足を止めた。守りたいと願い、自分へ託しただろうその母親。何を思い、何を求めたか、今となっては想像する以外に知る術はない。だが、我が子の幸せを何より願うだろうことは疑いない。そしてその願いは、ダイクとて変わらない。
 ――たとえ、その形は違えたとしても。
 だから、ダイクは告げた。
「すまねえが、あんたの息子を今日から『俺の子』とも呼ばせてもらうぜ」
 迷いなく断言する。謝るのはそのただ一度、そのことにだけと決めて。
「オヤジー! もってきたよー!!」
 大きな包みを抱くように抱えて洞穴から出てきた子供に片手を上げて応じながら、ダイクは笑んだ。
 その代名詞が指したその方向は似て非なる場所。しかし、その呼び声は自分を指し、歩き出す場所を確かに示している。今は、それでいい。
 洞穴の外に足を向けながら、首だけ振りむかせたまま目を細めて小さくつぶやいた。
「ゆっくり大きくなれよ、ロイド」
 聞こえたのか、否か。ぎりぎりの大きさでつぶやかれた言葉が大地に溶ける。
 何かを見つけたか、見上げた子供が両手を伸ばす先で、どの色ともつかずたゆっていた空は完全な黒の帳を下ろし、そのなかで散りばめられた星々は静かに瞬き始める。
 道標を見つけた空は緩やかに廻る場所を変え、新たな時間を刻み始めた。





-END-



自覚してから『オヤジ』を呼ぶのが自然でしょうが、こういうのもありではないかと考えて書いたもの。
で、でも小さい子が『オヤジ』って呼ぶのって可愛くないですか?<同意を求めるな
03'12から04'1にかけて雑文置き場で連載?していたものを、加筆修正したものです。
原形は留めて(……多分)いますが大分変わっているかと。
2006.12.17 [ 出雲 奏司 ]
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