棚曇  <Tales of Rebirth <TOP





 ――雨が、降ればいいのに。


「アニー!」
 『迷いの森』という名に相応しく、道を惑わせるかのように視界を埋める鬱蒼とした木々。それとは対照的な声の方へ反射的に振り返ると、周囲の草木をえい、とトンファーで払って近付くマオの姿があった。
 一緒に行動するようになってまだそれほど経ってはいないけれど、ひっきりなしに話している印象の強い子だ。もしかしたら、あまりお喋りが好きそうに見えない他の二人にあしらわれてこっちに来たのかもしれない。
 そう思うと、何となく邪険にするのも躊躇われて、ただ小さく溜息をついて足を止めた。
 別に、マオ自身が苦手というわけじゃないけれど。その肩越しにちらりと見えた姿にいやな感情が溢れて、視線を元に戻した。……やっぱりあまり気が進まない。どうしようか、と進退を迷ううちに「追いついたっと!」元気な声がすぐ横で弾けて、腕をとられる。
「……マオ」
「そんなにあからさまにイヤそーな顔されると傷付くんですケド……」
 考えていた事がそのまま顔に出ていたのかもしれない。急に勢いをなくして掴まれた腕に増した重みに、慌てて空いている方の手を振る。
「だ、だって、マオがさっき怖い話してたから……」
 とっさに思いついた言い訳を口にすると、「今は違うよ!」とマオはぷうっと頬を膨らませた。
「じゃあ、なあに?」
 ころころと変わる表情に少しだけ表情を緩めてそう聞くと、マオも機嫌を直して口を開いた。
「あのさ、アニーのフォルスって天候を操れるフォルスなの?」
好奇心に輝く緋色の瞳は、薄暗い緑の中であっても一向にその輝きを失わないみたい。そんなことを思いながらも、実際に怖い話ではないことに内心少しだけほっとしながら答える。
「ううん。わたしの『雨』のフォルスは水の粒しか降らせられないわ」
「え? でも、あの時雪が降ってたよね?」
 『あの時』というのは、きっと最初に出会ったミナール平原でのことだろう。すぐに思い当たって、そういえば……と考える。まだ確認したわけではないけれど、思い当たることはあった。
「それは多分……ヴェイグさんの、フォルスのせいじゃないかしら」
「ヴェイグの……あ!」
 マオも思いついたようにぽんと広げた手の平に握り拳を打つ。
 雪は、元々雲の中の水蒸気が冷やされて結晶化してできるもの。マオが炎のフォルスで周囲の温度を上げて雨雲をはらったように、氷のフォルスで雨を雪に変えることだってもちろん可能なはずだ。
「そういうことだったんだネ」
 納得納得と頷くマオは、すっきりしたような表情で満面の笑み。その子供っぽい表情を見ていると不思議と気が緩んで、今度はわたしがふと生じた疑問に首を傾げた。
「でも、どうしてあんなにもフォルスが高まっていたのかしら……」
 簡単に結晶化させればいいとは言っても、生半可なフォルスでは無理だ。でも、少なくともわたしが様子を窺っている間は、特別意識してフォルスを高めている様子はなかった気がするのに。
 その言葉にマオは一瞬困ったように目を泳がせて、言い淀むように頬をかいた。
「ヴェイグは……ずっと焦ってたからネ」
 今も、だけどサ。そう言って、苦笑交じりで一人前を歩く白銀の髪が揺れる背にマオは目を向けた。つられるように目を向けると、迷いなく前進むその背は、周囲にある煩わしい草木など目に入っていないかのようだった。決して早いとは言えない自分やマオたちに歩調を合わせてくれているけれど、時折走り出すのを必至に抑えているようにも見えるその足取り。
 思わず息を飲んでしまったわたしに『ね?』とマオは目だけで言って肩を竦めて見せた。
「今はアレでも大分落ち着いてるけど、最初はほんっと余裕なかったからサ」
 『クレアさん』……幼なじみが攫われたのだと、言葉少なに言っていたことを思い出す。その人を取り戻すために『王の盾』を追っているのだと。理由は分からないけど攫われたその事実だけで、『王の盾』にひいては王国にその剣を向けることも厭わないのだと言い切った人。
 フォルスと同じく、マオと逆に静かであまり喋らない人だと思ったけれど、それを話す時だけは熱いと感じるほどに強い感情が伝わってきた。『クレアさん』が、ヴェイグさんにとってそれほどまでに大切な人だということも。
 苛立ちで無意識の内に、フォルスが発動していたとしても、何の不思議はない。
「そう……ね」
 マオの言葉に同意しながら、胸の前で手を重ねて目を伏せた。今更ながら、痛いほどその気持ちが分かる。
 わたしも……同じだったから。
 お父さんが亡くなったと……それも殺されたのだと聞いたとき、わたしのフォルスは知らぬ間に雲を呼び、雨を降らせていた。局地的に降り続いた雨は、わたしがフォルス能力者であることを知らせることにもなって。やってきた『王の盾』と契約する条件として、フォルスの制御を学び、罪に服することなく軍から追われた罪人の居場所を教てもらった。
 そう、お父さんの仇をとるために殺そうとして……
(なのに……)
 ぎゅっと手にした杖を握り締めて、唇を噛む。今は少し後ろを歩くガジュマ――あの人。
 そう、殺そうとしたはずのあの人に逆に助けられて。今、こうして側にいながらその仇をとることもなくいる。
 追いついて、こうして手を伸ばせばすぐに望みを達せるのに、それをせずにいるのは、能力の差以上に引っ掛かりがあるからだ。
 『仇』として抱いていたイメージとはあまりにも違っていた、父の親友だったともいうあの人。だからこそ、今度は自分の目で見極めようと傍にいることを決めた。
 でも、それなのに、そうしようとすればするほど分からなくなる。父を殺したというその事実さえ、信じることが出来ない程に。
 殺された時、お父さんはどう感じていたのだろうか。辛かったのかどうかも、今のわたしには確かめる術がなくて。そんな風に考えてしまう程、それまで『真実』と思い込んでいたものに確信が持てなくなってしまっている。 
 たくさんの人から、あの人が父を殺したのだと聞いた。本人も、それを肯定して。
 あの人が父を殺したという事実だけは、誰一人否定もせず変わらずそこにあるはずなのに。ヴェイグさんのように殺したというその『事実』だけで十分と言い切ることもできない。目的以外の何物にも惑わない前を歩く背が、なんだか酷く遠くて眩いものに見える。
 あんなふうに、少し前までのように、真っ直ぐに恨めたら。躊躇いなく、同じように何も知らないまま命を奪う覚悟を決めたあの頃が、今は酷く遠い。
 あの時の気持ちに戻れたら、どんなにいいだろう。
 今は、悲しみに泣く事も、怒りをぶつけることも出来ない。ただ真実を見極めようと監視して、どうすることも出来ない苛立ちと迷いだけが、終わりのない押し問答を続けるだけ。
「――ま、ボクのおかげだよネ! ボクもじめじめーってしてるのは嫌いだし……て、アニー? だいじょうぶ?」
「……え?」
 目の前を行き来する手の平にはっと、我に返って。いつの間にか、覗き込むように近付いていた目に鮮やかな真紅から逃げるように一歩後退する。
「なーんか、顔色が悪いみたいなんですケド」
「う、ううん。大丈夫」
 眉を寄せて心配そうに覗き込むマオにそう言って。無意識に強張っていた体の力を抜く。
「ちょっと……考えごとしてただけだから……」
 視界の端で、後ろを歩いているあの人の視線を感じる。向けられる視線は、きっとさっきのマオと同じもの。また、わたしにとって『真実』だったはずのものが一つだけ遠のいて、重い迷いが圧し掛かっていく。
 怒りに任せて、悲しみに暮れていたときには雨がいつまでも降り続いた。でも、今は……
 振り払うように首を横に振って、空を仰ぐ。鬱蒼とした森が気紛れのように落とした木漏れ日が、瞳を射した。
「あ、これなら森を抜けるまで天気は平気そうだね♪」
 同じように空を見上げたマオが隣で上げた歓声に、なんだか泣きたくなった。



 雨が、降ればいいのに。この躊躇いも何もかも洗い流して、憎む事が出来たら。
 そして雪が降ればいい。『真実』から遠ざけてしまう全てを覆い隠して、もう一度恨めるように。
 この何を隠しているか分からない重くたち込める曇りよりも、そのほうがずっといい。
 ……そう願ってしまうほどに揺れているこの思いなんて、わたしは絶対に認めない。









 In迷いの森。『雨』のフォルスで雪降らせられないかは不明です。勝手設定なので本気にしないで下さいねー;
ちなみに「棚曇」っていうのは空一面が曇っている事なんだそうです。

2005/3/21 [ 出雲 奏司 ]

*この作品がどうだったか教えてもらえると喜びます    いい まあまあ イマイチ




BACK    TOP

棚曇  <Tales of Rebirth <TOP
inserted by FC2 system