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 いつまで、この手を伸ばせるだろう。



  手を伸ばす -一日千秋-


 『白峰の』と形容される村を一望できる丘の上に立ち、深く吸い込んだ息を吐き出すと共に上げていた手を下ろす。
 最近、時間があれば一人登るようになっていた場所。
 誰かといることが、気詰まりなわけではない。ただ、一人で考える時間が欲しくて気がつけば来るようになっていたのだ。
 いつものように眼下に広がる、自分の育った村の一角に眼をやる。自然と目が行くのは、ほかの家々に遮られ僅かしか見えない、自分の居候する小さな家。気がつけば生まれてから最も長く過ごしていたことになっていた、場所。あの温かな家に迎えられてから、それほどの月日が経っていたのを強く意識したのは、ごく最近になってからだ。
 だが、それを思い生じるのは追憶と共に感慨に浸るというものではなく、ちりちりと焦げ付くような焦燥。広がるその感情に、村からその背後の白峰へと視線を移す。
 胸に燻る焦燥とその理由こそが、今何より一人で考える時間を求めさせていた。
 ――それは、『一日も早く、家から出て自立する』ということ。
 最初は見知らぬ環境から抜け出したいという、幼い衝動から出たものだった。それがいつからか変わっていったのは、必然といえるのかもしれない。本当の我が子に等しく愛されているのも分からないほど、いつまでも幼いままではないのだから。それが自分の境遇で、どれほど得がたくありがたいことなのかも。だからこそ、感じずには……考えずにはいられなかった、家を出て、その負担とならないようにしたいという思い。
 だがその願望と焦燥は、ベネット夫妻の慈しみゆえに、実現するどころか自分の中でも明確にすらされぬまま、甘えを許されて今まで来てしまっていた。
 それに気付くきっかけとなったのは、スティーブが家業である武器屋を継いで働くのだと聞いたとき。年もさほど変わらない幼馴染の報告は、否応もなくその願望と焦燥を明確なものにした。
 以来、自立を促す声は焦燥と共に自分の中で日に日に増してきている。そう、状況や感情ばかりではなく、年齢をとってもそれは遠くない時であるのだと。
 肉親のいない自分には、スティーブや村人の多くがそうであるような、家業を継ぐことを選べない。かといって決して器用と言える性質でもなく、唯一他より秀でているものがあるとすれば多少剣を扱える事ぐらい。それさえも、この平和な村では殆ど無用と言ってもいいものだ。
 考えれば考えるほどどうしようもないことばかりが思いつく。
 不安要素など数え上げればいくらでもある。きりがない程に。それでも、多くを望まなければ、かつて祖父といた山へ戻り、暮らしていくくらいのことは出来るかも知れないとは、思う。心配をかけてしまうことは避けられないだろうが。
 ただ救いがあるとすれば、どんな選択をしても育ててくれた夫妻は頷いて認めてくれるだろう。そんな確信めいた思い。そして、もう一人も……
 その存在を意識した瞬間、言い様のない惑いを感じて。
 一瞬脳裏に閃いたものをふり払うように、それと似た色を持つ日を遮り頭上に手を伸ばす。落ちてくるのは重いため息ばかりしかない。
 と、
「こんなところにいた」
 ヴェイグ、と息の上がった声と共に花と土の香りが届く。唐突に背を叩いたそれに驚き振り返れば、陽光をそのまま糸とした様な髪がそよ風に揺れていた。
「……クレア」
 一瞬は見開いた目を、眩しさに細めて名を呼ぶと、「うん」と頷いて彼女は傍らまで寄ってきた。
「なんだか難しい顔して遠くを見てたけど、考えごと?」
「あ……いや……」
 とっさに返す言葉を見つけられず口篭る。家を出ることを考えていることは、まだ言うつもりはなかった。特に、彼女には。惑いを抱えたままの考えを、言える自信が、ない。
 言葉を濁して「大したことじゃない」と言えば、「そう?」とクレアは納得しきれない表情で首を傾げる。
 彼女に対して隠し事をするのに自分が向いていないのは、よく分かっていた。だから柔らかに色付いている唇が追求の言葉を重ねる前に、口を開く。
「オレを探していたんじゃないのか?」
 その言葉にクレアは「あ」と口元でパチリと手を合わせた。
「そうなの! お母さんが、もう少ししたらみんなで庭でお茶しましょって」
 ポプラおばさんも来るのよ、と弾む声は耳にひどく心地よい。微かに頷く事で相槌を打てば、彼女はそのリズムに乗せて次の言の葉を運ぶ。
「さっきまでね、花壇を綺麗にしてたから、その鑑賞会なのよ」
 両手を合わせて彼女が楽しげに告げれば、肩の上でザピィもそれに合わせるように「キッ!」と鳴く。その言葉で、彼女の声と共に届いた花と土の香りに得心がいく。そういえば、朝からラキアさんと共にどんな風に花を配置しようかと相談していた気がする。
 何の花だっただろうかと思い出そうとしたのに応じるように、肩の上のザピィと目を合わせてクレアは笑んだ。
「今年はザピィの好きなリラビッチも植えたのよ。ね?」
「キキィーーッ♪」
 クレアの言葉を解するように喉を反らして嬉しそうに鳴くザピィを見て、目を見合わせて互いに頬を緩ませる。もっとも、ザピィが楽しみにしているのは、花ではなく実の方なのだが。
「そうか……楽しみだな」
「うん♪」
「キ!」
 くるくると楽しげに肩の上で回るザピィと、それに戯れるクレアの姿に目を細める。穏やかな風景、変わらない情景。
 ……だが、それでも緩やかに、確実に時間は流れている。それは例えば、自分の髪が彼女と変わらぬほどに伸びたように。いつしか彼女の肩に乗る小さな家族が増えているように。
 それと同じように、この何気ない日常の風景さえ、いつかは当たり前ではなくなっていくのだろう。その可能性もまた、焦燥が促す未来の一つだと気付いている。分かっている、はずだ。
 それなのに反芻すればするほど、ひやりと胸の奥底が冷え息苦しさを憶える。
 何気ないはずの彼女の仕草一つさえ惜しく、眼裏に残したいと願ってしまう自分に苛立ちさえ感じてしまう。
「ヴェイグ、どうかしたの? 少し顔色が悪いみたい」
 気付けば近づいていた、翳りを帯びた若葉色の瞳。その中に映る己の姿は、どこにも行けず立ち竦む様でひどく滑稽だった。心配そうに顔に伸ばしかけられた手で我に返ってやんわりと遮ると、ぎこちなく笑みを浮かべて首を横に振った。
「いや……大丈夫だ。帰ろう、おばさんたちが待っているんだろう?」
「……うん」
 なおも覗き込もうとする瞳から逃れるように足を進めれば、ぴたりと横、遅れじといつもの定位置に彼女が並ぶ。無意識に隣合った手を伸ばせば、彼女は嬉しそうに微笑んで手を絡める。共有する温もりは心まで浸透していき、一人重ねていたものとは違う吐息を重ねる。初めて会ったあの時から、この手の温もりは変わっていない。それに安堵したのだと、気付いていた。だがそう思うほどに、隣り合わせる感情までは消すことが出来ないと、強く思い知らされてしまうことも。
 ……こうしていられるのはいつまでだろう。それはきっと、遠くない未来のはずなのに。思うほどに『現在』への焦燥と執着を自覚するばかりで、覚悟も先も見えてこない。残り僅かなカウントダウンを知りながら、それでも失うものを思い足を止めてしまいそうになる。
 曖昧な未来は、停滞する時間ばかりを望ませる。
 いつもと同じ家路を辿りながら、繋がるその温もりに縋るように目を伏せ、ただ望み馳せた。



 今は。そう、せめて今だけは。
 この手を伸ばせなくなるその時までは、どうかどうか、この場所で――

 いつか来るその時まで、この手を伸ばしその手を握りたいと、願う。







-END-



 落日前での1コマ。まあ色々難しいお年頃ですから(何)

2005.4.29 [ 出雲 奏司 ]

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