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 この手を伸ばしたら……



  手を伸ばす -- 半透膜


「ヴェイグ」
 探していた後姿に声をかければ、肩が震えてゆっくりと彼が振り返る。
 一瞬だけ浮かんだ戸惑いと、泳ぐアイスブルーの瞳。
「……クレア」
 以前よりも、ワンテンポ遅れる声。悲鳴を押し殺したような、潰れた声。
 そのことに、私も少しだけテンポを崩してしまいながら返事をする。
「さっき、部屋でユージーンさんが呼んでいたわ」
「……わかった。今行く」
 短い会話。言葉は届くのに、視線は届かない。
 そのまますれ違うところで、ぴたりと空気が止まる。
「あ、……っ」
 『クレア』と声になりきれなかった音が、棘のように胸に刺さる。その音さえも、今の彼には苦痛なのだろうか。問いかけそうになる口をぎゅっと閉めて。くるりと私は踵を返して振り返る。
「なあに?」
「……木の葉が、髪についている」
「あ、本当」
 ふっくらとした指でつまみ上げる。巻き癖のついた長い空色の髪。
 視界の端で、彼の手が動こうとしてためらいに止まるのに気付いていた。動くものに酷く敏感なこの目。
 何かを耐えるように、慎重に殺された溜息の音も、強く噛み締められた奥歯の音さえも拾えるこの耳。
「ありがとう」
 その全てを気付かない振りをして、私は笑う。
「いや……」
 一瞬だけ目に出来た彼の顔が強張る。……すっかり、見慣れてしまった表情。もう、笑顔を長く見ていない。目を合わせることも、数えられるぐらいだけ。
 手を伸ばしたかった。そらされる視線をこちらへ向けて、凍りついたその手を握りたかった。
 でもこの手を彼に伸ばしたら。私は……彼は。何かを失ってしまう?
 漠然と感じる不安と、今までのように待つことを望む思いに阻まれて。伸ばしかけた腕を抑え、両手をぎゅっと握り締める。



 ずっとこの手は、分かり合うために、思いを共有するためにつなぐのだと。
 そのために伸ばすのだと、思っていたのに。

 どうして、壊れる引き金のようだと思えるのだろう――





-END-



『凍りついた』というのは比喩です。気付いてたわけではなく。

2005.4 [ 出雲 奏司 ]

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