お星様のかけらを -- I want to ...
微かな衣擦れの音。 安堵の吐息。 草を磨り潰したような匂いのあと、僅かに遅れて布の翻る音。 少しずつ遠ざかる足音。 「見張りがいなくなったみてえだな」 不意にかけられた鮮明な音に、ファラはぱちりと目をあけた。 「……リッド、起きてたんだ」 「猟師をなめんなっての。それに、この生活も長ーしな」 よっ、と体を起こしたリッドに「それもそうだね」と頷いて起きあがる。 寝ついた時と目に見えて星の位置が変わっているところをみると、深夜のようだ。 まだ暗闇に慣れない目は、近くに見えるリッド以外の周囲の景色を闇としか映さない。 「メルディ……大丈夫かな?」 ぽつりと、深い闇の奥、先ほど隠れるように寝袋から抜け出したメルディが向かった方向を見つめて呟く。 不意に起き上がったメルディに、なぜか声をかけることができなくて…… 不安そうにぎゅっと毛布を握った手に、対照的な気楽な声が被さる。 「キールが追いかけていってんだ。あいつに任せときゃ、だいじょうぶだろ」 首を軽く回して、大きな欠伸を一つ。 馬にけられて死にたくはねーからな、と軽口をたたくリッドに、ファラも思わずクスクスと笑って、そうだね、と同意する。 なんだかんだ言いつつも、メルディのことを一番分かっているのは確かにキールだ。メルディが無理をしている時、それに一番先に気付くのは決まってキールだから。出会った頃から意見の食い違いで衝突することが多かったが、意地を張る側がお互い入れ違ってしまってきていることに気付いているのかいないのか。どちらにせよ見ていて微笑ましい言い合いが多くなってきているのは間違いない。 「……いつか、わたしたちにも色んなこと、教えてくれるといいんだけどね」 そう一人ごちて、思い出すのはレグルスの丘のこと。最深部で起きた異変からこっち、メルディは極端に元気な振りを見せることが多くなった気がするから。 (レグルスの丘……か) その単語が、胸に鈍い痛みと一つのわだかまった疑問を与える。そう、あの場所で起こったことは、メルディだけじゃない。 「ねえ……リッド。ひとつ、聞いていい?」 「あ?」 キールの代わりに見張りをしなきゃなんねーかな、とぶつぶつ考え込んでいた様子のリッドが我に返ったようにこちらを見る。 闇の中でも色を失わないまっすぐな空色の瞳に、手がじわりと汗を帯びてくるのを感じて、息が詰まった。 躊躇いが心のどこかでよぎったけれど、あえて無視して言葉を続ける。 「……10年前の……ラシュアンの悲劇の時のほんとのことこと知った時、わたし恨まなかったのかなって」 瞬間、微かな息を呑む音が聞こえて、周囲の空気が凍った気がした。暗い色が意識を占領していく。 それは、紛れもない後悔の、色。 何も言いそうにない気配に怖くなって、慌ててファラは呆然と見開かれた目の前で忙しく両手を振った。 「あ……ごめんね。ちょっとだけ気になっただけだから! その、気にしないで? そ、そろそろ寝よっか。うん!」 言いながら膝に落としていた毛布を頭に被せて再び横になりかけて。 「……ぜ……ない」 途切れ途切れに聞こえてきた声に、恐る恐る毛布から顔を上げる。 いつのまにか、手を伸ばせば触れられるほどの距離にリッドは座っていた。 「……リッ……ド?」 「……ぜんぜん……恨まなかったわけじゃねえんだ」 ぽつりと洩らされたその言葉に身体がびくりと震える。 「知ったときな、正直怒ろうか、黙ってたことを問い詰めようかって思ったりもした」 淡々と、押し殺したような声。 間近い位置にいながら、伏せられてしまった顔から表情は見えなくて。映るのは、限りなく黒に近い紅。 中途半端な姿勢で起きあがったファラの肩から、ずるずると毛布が滑り落ちる。 「わた……し……」 なにかをいわなければ。そんな思いで口をパクパクと開いて。でも何とか出たのはそんな意味のない言葉だけ。 覚悟はしていた。リッドからどんな言葉を聞かされても仕方がないと、覚悟をしていたはずだった。いや、していなくてはいけない。それが『聞く』ということだから。 それでも……それでも? はたと思いついた言葉に鳥肌が立つ。そうだ、自分はリッドが許していないはずがないことを……励ましてくれる事を期待していたのだ。なんて、思い上がった思いなのだろう。 ざわり、と木々が揺れる。覆う物がなくなった首や肩に風は容赦なく吹きぬけて体温を奪っていく。 「でも……な」 ぴたりと、寒さが消えた。滑り落ちたはずの毛布が引っ張り上げられて。 すぐ傍に落ちた影にいつのまにか俯けていた顔を上げると、見えなかったはずの空色が目の前にあった。 「……もう、決めちまってたんだよ」 ぽんぽん、と目を丸くするファラの頭を軽くたたいて、リッドは元の位置に座りなおす。 「『大切なものを守る』ってな。……全てを同時に守りきれるほど……全部の気持を同時に抱え込んでいけるほどオレは器用じゃねえから――あ〜〜くそっ!! なんていえばいいかわかんねえっ」 頭を乱暴に掻き回して、うーんと空を見上げて。 不意に水を入れた皮袋を取り出して、カップに注ぎ出した。 「……リッド?」 いぶかしむファラの目の前にぐいとカップを押しやって、リッドは笑った。 「ほら。やるよ」 「水、だよね?」 「ああ」 目を瞬いて訳がわからないと無言で問いかけてみるが、リッドは一向に答える様子もなく笑うばかり。 諦めてカップを受け取ると、リッドはカップを渡したその手を上げて、そのまま空を指差した。つられるようにファラも目を空に向ける。 「星、きれいだな」 「……うん……」 チクリと、少しだけ胸が痛む。どうしても思い出してしまう。過去のことは、向き合うことが出来るようになっても、その事実は消えないから。 ぎこちなく表情を強ばらせたファラに気付いたのか気付かなかったのか。リッドは淡々と言葉を続けた。 「……カップの中、な。何が見える?」 「え……」 言われて覗き込むように顔を近づけると、「違う違う」と苦笑したリッドに額を小突かれて。 「それじゃなんにも見えねーだろ?」 そう言って促されたカップの中に輝きが点る。水の上に映るのは、小さな星空。それは…… 「なあファラ。……星のカケラ、見つけられたか?」 静かな声。穏やかな聲。身体の中に染みとおるように広がっていって。 ぽちゃん…… カップの中に透明な雫が落ちて、水面は千々に乱れたお星さまのカケラを映し出す。 「……欲しかったんだよな。星のカケラ。ちゃんと手に入ったか?」 ――息が止まりそうなほど、それは、とてもとても優しい声で。 「うんっ……!」 ぼろぼろと涙を落として、ファラは何度も何度も頷いた。 リッドは泣くなとも言わず、ただ微笑んでファラの頭を撫でていた。 仕方がないとか、もう済んだこととか、どうしようもないとか、そんなことではなくて。 それで全てが割り切れるわけじゃない。 それでも、どうしようもなく…… 欲しいものが、そこにはあったから。 「……オレは、……いやキールもか。喜ぶ顔が見たかった。ただ、それだけだ」 耳朶をうつ星の唄。懐かしく、甘いその音色。 その旋律はきっと―― 輝きに彩られた透明なかけらに唇を寄せて中へ誘う。 こく、と小さく喉を鳴らす音の後。乾いた唇が瑞々しさを取り戻して、鮮やかに色をさしてきれいな曲線をえがく。 ゆっくりと細められた蘇芳の瞳が映すのは、柔らかな光彩。 「……っ、ありがとう!」 ずっと、欲しいものがあった。 それはきっと――
2002.04.05 [ 出雲 奏司 ]