夢とかす星空 -- A ray.
夢を、見た。 深い闇の黒に覆われる、 とても冷たい、 夢を、見た。 薄紫の瞳をはっと見開いて何度か瞬く。 はじめに目に入ってきたのは満天の星空。 「……どこ、か?」 ぽつりと洩らした声で、ぼんやりとした意識がだんだん醒めてくる。 そう今は夜でキャンプをしていて隣にはリッドやファラが寝てるはずで…… 「!」 そのことに気がついて慌てて口を手で塞いだ。 おそるおそる寝返りを打って耳をすませると、聞こえてくるファラの寝息と、少し大きいリッドのいびき。そしてまくらもとで眠るクィッキー。 目を覚ます気配のないそれに安心する。 少しだけ体を起こして目元に手を伸ばすと、そこには生乾きの水の跡。 ふと目を上げると、見張りをしているキールの背中が目に入った。本を読んでいるのだろうか、時折パラパラとページを捲る音が焚き火の音に混じって聞こえてくる。それはあたかも警報のように、心音を大きくさせて言い知れぬ不安を掻き立ててしまう。指先に残る水の感触に、その思いはいや増して。 キールに見られたら、きっと何があったか聞かれてしまう――気づかれてしまう―― 今はそれが、とても怖くて…… 隠れる場所を探して周囲を見渡し、一つうなずく。 傍らで体を丸めるクィッキーを起こさないように、そしてキールに気付かれないように体に巻きつけていた毛布を取ると、メルディはそっとその場を離れた。 * * * ひたひたと、夜露にぬれる下草を踏みしめるたび、無造作に背中に流されたふわふわとした薄紫の絹糸が闇の中で踊る。 深い闇の中今にも消え入りそうな儚い光をまとわせて舞うその姿は、まるで何かから逃れるよう。 さらさらと、今にも闇に溶け入りそうなその存在に、幾度も白い手が伸びかけて止まる。 それは、何かを堪えるように僅かに震えを帯びて。 何度も、何度も…… * * * 夢を、見た。 逃げても逃げても終わらない、 先の見えない、 夢を、見た。 キャンプをしていた場所から大分離れた場所まで歩いて、メルディはようやくほっと息を吐いた。 ここまでくれば、きっと誰に気づかれることもないから。どんな抱え込んだものも、思いも。何もかも。 とさっ、と軽い音と共にその場に座り込む。 「疲れたな〜……」 ぼんやりとした意識で呟いて空を見上げる。夜空に浮かぶ無数の星々のおかげだろうか、その色はさほど暗い印象は受けない。 黒じゃない。そのことに深い安心を覚える。 黒に似ているけれど、夜空の深い藍色はなぜか好き。見ているうちに不思議と心が落ち着いて、嬉しくなれる。 (バアヤ? どしてかな?) 首を傾げて夜空を見上げる。でも星はそのなぞなぞに答えるはずもなく、ただちろちろと輝きつづけるばかり。 むぅ、と少しだけ頬を膨らませて夜空に向かってそっぽを向こうとした。 そのとき。 「バイバ!」 目の前が暗い薄紫で覆われて、思わず叫ぶ。 ざああああぁぁぁぁ―――― まるで全てのものを吹き飛ばすかのような突風に、反射的に目を閉じて腕で顔をかばう。 荒れ狂う風の流れそのままに翻弄される髪のせいで、頭が痛い……! それでも風は徐々に落ちついていき、顔にまとわりつく髪を払ってメルディは軽く息を吐いた。 「風つよいなー……」 まだ風に舞う髪を押さえながらゆっくりと目を開いたそのさきに。 星は、瞬いてはいなかった。そこには…… ドクン それを見た瞬間、体に震えが走る。息ができないほどの焦り、不安、……恐怖。 「……ゃ……っ」 唇が細かく震えて、音が声にならない。カチカチと鳴る歯の音。 怖いのに、それから目を離すことができない。 体中がなにかにとりつかれたように動かないのに、震えだけは一向に消えなくて。 「…ぃ…ぁ……っ……」 それはまるで、声ではなく…… 血を……吐くような。 「……ャ……やああぁぁぁあーーーーーーー!!!」 * * * 突風は、その始まりと同じように、ぷつりと凪いだ。 そして空気をたっぷりと含んだ綿菓子のようなその薄紫の糸が無造作に払われたその直後。 時間が止まった。 その紫水晶の瞳は一点を見つめたまま、動かない。 その視線の先にあるのは夜空。 星の瞬かぬ、漆黒の雲に翳りを与えられた空。 それを見つめる瞳もまた、じわじわと暗い色を広げていく。それは、黒。 凍りつけられたようにわななく普段は薄紅である唇が色を失い、空気を求めるように2度、3度パクパクと震えて。 「……ャ……やああぁぁぁあーーーーーーー!!!」 ――全てを切り裂くような咆哮が意識を切り裂くと同時、気がつけば地を蹴る音と土の香が撒き散らされ、濃紺が闇の中で翻る。 幾度も伸ばされた白い手が、躊躇いの壁を壊してようやくその先に届いた。 「メルディ!!」 * * * 夢を、見た。 誰にも言えない、 知られてはいけない、 夢を、見た。 闇がくる。冷たい、夢と――あのときと同じ…… 「メルディ! おい、どうしたんだよ!?」 腕が痛い。もう、逃げられない……? 「やぁ! 来ないで、離して、離してっ、離してなっ!!!」 「メルディっ!!」 間近い場所で聞こえた大きな声に、はっと我に返る。 「メルディ!」 それは、男の人にしては少し高い、とてもとても聞き慣れた声で。それは…… 「きー……る……?」 いつのまにか閉じていた目をおそるおそる開くと、目の前にあったのは強ばった表情のキール。 「ど……して、ここ……」 呆然とした表情で呟いたとたん、端正な眉がつりあがる。 「そんなことはぼくの方が聞きたい! なんだってこんな夜中に出歩いてるんだ!? 今だって一体何があったんだよ!?」 掴まれたままの腕に力が込められる。まっすぐに向けられる青紫の瞳がみるのがどうしてか辛くて目を逸らしそうになってしまう。いつもそう。自分が隠している一番奥底まで見透かしてしまいそうなその色が怖い。 「な……なんでも、ないな」 少しだけ擦れた声で、それでもなんとか目を逸らさずにメルディはそう答えた。 うん、大丈夫。そう心の中でうなずいて、今度はすらすらとコトバを続ける。 「ちょっとだけ目、覚めて眠れなかったから、お散歩してたよ。キール、本読んでたしおジャマいけない思ったから」 なんにも言わなくてごめんな、と言ってにっこりと笑う。 うん、大丈夫、きちんと笑えてるはず。絶対に、気付かれない。気付かれちゃ、いけないから。これで…… 「……なんで笑うんだ」 「え……」 押し殺したような低い声に、息をのむ。作っていたはずの笑顔がほどけるように消えていくのが分かったけれど、どうすることもできなかった。 まっすぐな瞳は決して緩んでいなかった。それどころか、余計にそれは鋭い光を帯びてこちらを見ている。 (どうして――) きちんと笑えていて、ちゃんと答えることができてたはずなのに。 「なんでいつも『なんでもない』っていうんだよ! なんで無理をしようとするんだよ! 平気な振りをして……そんなにぼくが信用できないのか!?」 「違うよっ! そんなんじゃ……」 思わず叫んでしてしまった口に慌てて蓋をするが、出てしまった言葉まで消すことまでできるはずがない。 ますます鋭さを増した瞳に堪えきれず俯いた。 湿った風が下ろされたままの髪を頼りなく揺らして、二人の間を通りぬけていく。 「……ごめんな……」 ようやく出たのはその言葉。何に対してのものか自分でもよくわからなかったけれど、謝らなくちゃいけない気がした。そう思えるほどキールが掴む腕の力は強かったから。 ぎりっと、歯軋りするような音。その音に反射的に身を竦ませる。 でも、続けられた言葉は予想もできないものだった。 「ぼくは謝罪をして欲しいわけじゃないんだ! ただ、分かってくれ。話したくないことがあるのなら、別に言わなくてもいい。でも苦しいときは苦しい、辛いときは辛いってちゃんといってくれ! そうしてくれないとぼくは気付けない。なにもできない! 後でそのことに気がついて辛くなるのはぼく達なんだって分かってるのか!?」 流れる風のなかに息を吐く音が混じって、掴まれていた腕の力が緩んだ。 「……悪い、言いすぎた……痛かったか?」 気遣うように心配そうに言われたその声に、ふるふると首を振る。痛いのはむしろ……心のほう、だから。 考えたこともなかった。隠すことの方が傷つけることになんて、全然思わなかったから。 そうだ。無理をしているのを見つけると、キールはいつもひどく怒って、ファラもなんだか悲しそうな顔を見ることが多かった気がする。 余計な心配をさせたくないと思っていてしたことは、実際いろんな人を傷つけていて…… 「……ユメ……」 たくさんのごめんなさいとの気持と、溢れそうになる涙の代わりに、言葉が落ちた。 「え?……」 「……夢、見るよ」 ……そう、夢。レグルスの丘で、1度だけネレイドに意識を取られたあの日から、ひんぱんに見るようになった夢。 ぎゅっと握られたままのキールの腕の裾を握って、メルディは続けた。 「ねむるとな、黒いものがな、メルディの中……入ろうとするよ」 それは、あくまでも抽象的なコトバ。その『黒いもの』が闇の極光の力であり、ネレイドであることは……いえないから。 とつとつと、ゆっくりと。一つ一つのものごとを確かめるように、言葉を選んで話す。 「逃げても、逃げても追いかけてくるよ。まわり、ダレもいなくてな、黒だけしかない」 逃れられない、その恐怖が何度も何度も繰り返される。過去に感じた恐怖と同じ…… 「走っても、走っても、終わらない。冷たくて、暗いよ……っ!」 あのときと同じ感覚。思い出したくないくらいに冷たくて、絶望だけが広がっていく。 この夢を見るたびにその感覚を思い出して、起きてしばらくの間まるで呼応でもするかのように体の奥深くでなにかが疼く。それが闇の極光の力の一端であることは、間違いなくて。 そのたびに、怖くなる。いつか、夢の中で本当に闇に飲まれてしまったら、シゼルのようになってしまうかもしれないと…… だから、夜空に浮かんだ黒い雲を見つけたとき、怖くなった。辺りは暗くて、誰もいなくて……あまりにも夢に、似すぎていたから。 思い出して、ぎゅっと目を閉じる。まるでそうすれば全てから逃れるかのようにきつくきつく。 「…………」 キールは、なにも言わなかった。たかが夢と、馬鹿らしく思っているかもしれない。……そう思われても仕方がないから。それでも、言わずにはいられなかったから…… バサッ うな垂れるメルディの頭に、いきなりそれは被せられた。 きょとんと目を見開いて、メルディはもぞもぞと頭にのせられたそれを引きずりおろす。 「……マン、ト?」 それは、いつもキールが羽織っている白いマント。 ぱちぱちと目を瞬くメルディの耳に、いつものキールの声が聞こえてくる。 「これを……貸してやる。白だったら黒の中でも目立つだろ。……気休めにしかならないかもしれないが」 「キー、ル?」 見上げた先で、キールはふっと笑みを浮かべて見せた。そう、それはなんだかとてもキールらしい笑い方で。 「ありがたくおもうんだな。本来なら相応の勉学を積んだ者だけが着用を許されるのであって……」 「キールがおはなしは長いよぅ」 いつも通りの長いお話をくすくすと笑って遮って、頭に被せられたマントをきっちりと肩にかけた。 「ありがと……な、キール」 「な、は余計だといつも言ってるだろっ」 ぶっきらぼうにそういって、そっぽを向く。翻ったその濃紺の髪が、キールの肩越しに映る夜空の中に溶け込んで。 『黒は怖いけれど、夜空の色は好き』 ふと、そう考えた言葉を思い出す。 「夜空が、キールがいろ……な」 無意識に呟いて、くすっと笑う。ああ、だからか、と納得がいく。嫌いになるはずがない。嫌いになんてなれるはずがない。 夜空と、この白いマントと。包みこんでくれるものが、ちゃんとここにあって。分かろうとしてくれる想いがそばにあって…… しあわせ。どんなに辛くても、こんなにも温かい気持が、胸の中にちゃんとある。 苦しい時に心配してくれて、手を伸ばせば握り返してくれる人たちがいる。 どんなことが起きたとしても、受け止めようとしてくれる人がいる。 だからこそ、まだ本当のことを話せない。 今よりももっとずっと心配させて、困らせてしまうから。 ウソをつきたいわけじゃない。でも、きっとまだ、そのときじゃないから。 「……いつか」 「? はいな?」 ぽつりと、こぼされた声。 白いマントを握り締めたまま、メルディはなにか? と小さく首を傾げた。 「いつか、話せることばが見つかったら、教えてくれ。そのときまで、ずっと待つから」 少しだけ振り向いた顔は暗くて表情は見えなかったけれど。……十分、だった。 (どうして……) どうしていつも、こんなにも欲しい言葉をくれるのだろう。 怖いくらいにまっすぐで、頑固で。……そして誰よりも優しい。 今にもこぼれ出しそうな涙を一生懸命堪える。 だって、今必要なのは「ごめんな」でも泣き顔でもないはずだから。 「はいな。約束するよ」 その瞳をまっすぐに見つめ返して。 言い尽くせない暖かで幸せな気持に、メルディはたくさんの光を映して目を細めた。 「ありがとな」 もう、ウソはいらない。 たとえ見えなくても、星は隠されたその向こうで輝いている。 空を覆う雲は流れ、再び星が瞬き始めていた。 夢を、見る。 それは暗くて冷たいものだけど、 誰かがそばにいて目指す場所のある、 夢を、見る。
2002.04.14 [ 出雲 奏司 ]