June Rain  <Tales of Etarnia <TOP




種々に色を変える空
彩る雲が落とす気まぐれな落し物
その透明な粒の中に様々なものを閉じ込めて、静かに激しく落ちていく
空は人の心を映すわけではないのだろうに
その音はどうして人の心に響くのか



 June Rain --You need sugar-free coffee.




ぽつ…

 静寂の中不意に耳に飛びこんできたその音に、彼は読んでいた本から目を上げた。

ぽつり……ぽっ、ぽっ……

 窓には数ヶ所水滴の流れた跡がある。
 彼は僅かに眉を顰め、顔を上げた拍子に肩から滑り落ちた濃青色の髪をうっとおしそうに払いのけた。その間にもぽつぽつという音の間隔は狭まり、やがて間断なく続きはじめる。
 ――雨が、本降りとなったのだ。
 パラリ、と本のページを手繰る音がはっきりしないほどに激しくなった雨音。
さっきまでは青空が広がっていたはずなのだが、今となってはその名残は一片もない。
 まるで紗を掛けられたようにはっきりしない、窓からの風景を見つめてぼんやりと考える。
 雨は……あまり好きではない気がする。
 どうしてかと問われても、自分でもよく分からない。ただ雨が降ると気分が沈むように思えるのだ。
 それが雨雲特有の鉛色のためなのか、小さい頃雨が降るとリッドとファラと遊べなかったからか、ラシュアンの悲劇が起こった時も降っていたからか、はたまた大学での天体観測や調査等の予定が狂わされていたからか――数え上げればきりがない――そんな思いが心のどこかであるのかもしれないが。
 どうしても、あまりいいものとはとらえられないらしい。
 一度だけ軽く溜息をついて再び本の文字列へと目を落とす。……が
  雨音とは違う微かな物音が降り落ちた。
(……)
どうやら、読書に集中できそうもないらしい。
 首をめぐらそうと思った瞬間、彼の予想通りそれはやってきた。
「キールっ!」
目の端に舞うのは淡い紫の髪。
「メルディ……」
甘い声と、とさっと後ろから来た衝撃に彼――キールは溜息ともつかない声を洩らした。
「入る時はノックをしろって言ってるだろ」
落ちついた声音で軽く窘めると、メルディは愛らしく頬を膨らませてみせる。
「気付いてたか〜?」
「何回もやられてたら、いい加減慣れる」
つまんないな〜、と呟く吐息が耳朶に軽く触れて離れた。目の前で組まれていた腕が解けて温もりが小さな風に変わる。
「雨……降っちゃったな」
せっかくおでかけの用意したのに。
 そう呟いて、小鳥のような身のこなしで窓辺に手をかけ外を見る。残念そうな声の響きは隠しようもない。
「しょうがないさ。天気ばかりは変えようがない」
 ぱたん。と、手の中にあった本を完全に閉じて答える。目を上げた先、ようやく正面から見ることになったメルディの姿に微かな違和感を覚えて、軽く目を見張った。
「……おまえ、髪結んでないのか?」
最近は昔のように高い位置での二つ結びはしていないものの、いつもなら邪魔にならない程度に結んでいるはずで。
 戸惑いに揺れる蒼玉に、紫水晶の目が笑いかけた。
「はいな。お出かけするし、このバレッタつけてみたかったよ」
 そう言って、軽く横の髪を編み込んだ先をまとめている濃青色のバレッタを指し示す。よく見れば着ている物もいつものラシュアン染めのワンピースではなく、先日ティンシアで買っていたセレスティア独特の淡い色で幾重にも薄い布が重ねられた服。
 改めて驚きに目を丸くしたキールの反応に満足したようにメルディはくすっと笑うと、くるっと目の前で回ってみせた。
 藤色の扇が軽やかに広げられ、濃青色が鮮やかな軌跡を残す。
 幾重にも重ねられた布地が、風をはらんでそれぞれ異なる弧を描く。
 全体をパステルカラーで統一された服は、髪の色とあいまってけぶるような印象を与えて……
キールと真向かいで、ぴたっと回転を止める。
「な、似合うか?」
 服の裾を余波で揺らしながら、ちょこんと首を傾げて微笑わらう。
 いつもと同じ仕草。変わらない微笑。そのはずなのに。
 全体に淡い彼女の色は、その存在さえも希薄にしているようで。訳の分からない息苦しさが、胸の奥に迫ってくる。
『な、似合うか?』
 聞こえてくる声さえ、ひどく遠い。
 儚さばかりが強調された……言うなれば、ひびの入ったガラス細工のような美しさ。
手を伸ばさなければ消えてしまいそうな気がして――
「メルディ……!」
思わず手を伸ばして抱き締める。
「……キール?」
「ああ……」
驚いたように目を丸くする彼女を認めて、腕の中にあるのが確かな存在を教えてくれるのに安心して、溜息ともつかない声を返す。
 戸惑ったように見上げていた瞳はやがて諦めたように閉じられた。そんな様子さえも儚さを伝えていて。
温もりだけが、彼方と此方とを繋いでいるように思えて、一層強く抱き締める。
 ――恐かった。儚さを感じるたび、恐怖に駆られてしまう。メルディが自分の傍を離れ消えてしまうのではないかと。戦いが終わった直後は彼女の方がそれを強く感じ、自分がそれをなだめる立場であったと言うのに。そして思い知らされる、メルディがどれほど自分にとって大きい存在であるか。大切なものであるか。
 自分の情けなさに笑いたくなる。こんなにもその想いをわかりながら、伝えられない自分自身……

 動かない空間の中で、雨の音だけが打ち震える。

「……雨、やまないな」
 どのくらいそうしていたのか。不意にメルディは言った。
 目を落とすと、けぶるような紫水晶が肩越しに窓の外を見つめている。その表情は何かを堪えているように酷く辛そうなもので。
「……悪い。苦しかったか?」
 少しの力で折れそうなくらい華奢で柔らかいその身体に慌てて腕の力を弛めると、驚いたようにメルディは目を上げた。ふるふると首を振って、困ったように笑う。
「んん……ファラが言葉、思い出してたよ」
「……ファラの?」
 問いかける眼差しにこくんと頷いて、思い出すかのように目を細めた。
「……みんなで旅してたときな、ファラが言ってた。『雨は、伝えきれない想いが零れてるもの』だって」
 そっと伏せられた目蓋の先、僅かに影を落として睫が震える。
「だから、雨ふるとそれ思い出してなんだか哀しくなるよ」
それに、そう言っていた時のファラの顔がとても辛そうだったのは今でもよく憶えているから。
 そう囁く言葉が体に直接響いて染み込む。
 変わらず雨を映す瞳を追って、その蒼玉を窓の向こうへ投げかけた。変わらず地面を打ちつけている雨。
(もし――)
 もし、ファラの言葉が真実だとしたら、その零れた想いの行く先は一体どこなのだろうか。
 地面に染み込む雨粒を見つめながら考える。そう、雨は大地に吸い込まれて……
「キール?」
 きょとん、と見開かれた紫水晶に映るのは穏やかな蒼玉――キールは笑みを浮かべていた。
「……そう、かもしれないな。でも……」
 ぽんぽん、と軽く頭を撫でて、一つ一つ言葉を探しながら形にしてみる。
「……想い全てを受け取ることは難しいだろう。だから零れた想いは大地が受けとめるんじゃないのか? そういった想いを受けて、草木が育って大地世界を創っていくんだと思えば、それほど悪いものではないかもしれないぞ?」
 今にも零れだしそうなほどいっぱいに見開かれた瞳が、数瞬後嬉しそうな笑みに崩れる。
「ん。そだな。それならステキだな……な、キール」
「うん?」
 少しだけ首を傾げて答えると、メルディは甘えるように胸に頭を擦りつけた。
「……キールはあるか? 『伝えきれない想い』」
「それ、は……」
 ある。先ほど感じたメルディの姿を見た瞬間に感じた息苦しいまでの愛しさ。
 でも、言えない。こんなことで簡単に言えるくらいなら、きっと当の昔に伝えきれない想いなどなくなっている。
 何も言えないまま言葉を濁したキールを気にする様子もなく、メルディは独白のように続ける。
「メルディはあるよ。リッドやファラやチャットやフォッグやレイス、ガレノスにクィッキー、ポット……バリルとシゼルも……ほかにもたくさんの人、大好きってキモチ」
紡ぎ出されるこえは耳に心地よいものだったが、自分の名前が出てないことにむっとする。何か言ってやろうかと口を開きかけると、不意にメルディは顔を上げた。紫水晶に蒼玉を映してにっこりと笑う。
「でもな、一番はキールよ……どんなに好きっていっても、全然伝わらないな。メルディ、まだ全然言い足りないよ」
はにかむように笑いながらも見つめる瞳は真剣で。
 飾ることのない、ありのままの言葉。無邪気であるが故に、それが嘘であることは絶対にないから、出会ってから3年以上経った今でも面食らってしまう。
 言葉が見つからないままに、ただ熱を帯びてくる頬を持て余して紫水晶から目を離した。さっきまで言ってやろうとしていた不満など跡形もなく消えてしまっている。
「……じゃあ、ぼくはもっと伝えられていないのだろうな」
 普段からそう想いを口にするでもなくいる自分は。言葉にするにはあまりにも想いは大き過ぎて、多すぎて。
「言葉には限界があるから。メルディよりもずっと多く、数え切れないほどあるんだろうな」
何度も思う。想いをそのまま伝えることができたらと。それができないから、変に苛立ったりしてしまうから。
「なぜか? キール、メルディよりずっとたくさんコトバ知ってるはずよぅ?」
だから、キールの方がメルディよりいっぱい伝えられるはずな。
 不満そうに首を傾げて上目遣いでこちらを見る彼女の様子に軽く苦笑する
 伝え方を『知っている』のと『すること』は、全く違う。
(いや……それ以前に)
「……どんなに言葉を知ろうと、無理だ」
この気持ちを全て伝えきれる言葉など、一生かかったって見つからない。
 溢れる愛しさをこんなにも持て余しているのに、どうして限りある言葉で彼女に伝えられるだろう。
 そう言えば、気持の伝え方が言葉だけでなくなったのはいつからか。
 そう考えて、キールは微かに笑った。きっと言葉よりも……
「……メルディ……」
そっと頬に手をかけると、驚いたようにメルディは目を瞬いた。
「キー……」
桜色の花弁から零れた聲は、終わりまでいかず消え落ちる。

 消えた言葉は聞こえないし、伝えたい想いの言葉は見つからないかもしれない。
 それでも、たとえ直接に伝える事は出来なくても、零れた想いが育んだ世界で共に生きていられるのだから。
きっと思いは戻ってくる。
 頬をくすぐる繊細な紫水晶の細工が、静かに震えて香を放つ。

 一向に止む気配のない雨の音を聞きながら、こんな日も良いだろうと紫水晶の波に顔を埋めた。





様々な想いを拾い集めて降り注ぐ淡い欠片
何を伝えて雨は降る?












-END-


555HIT申告くださったらじあん亭様に捧げさせていただきました。

2001.08.25 [ 出雲 奏司 ]

*この作品がどうだったか教えてもらえると喜びます    いい まあまあ イマイチ




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