「なー、キール〜。どこへ行くか?」 アイメンを出て、かれこれ2時間。方向から大体どこへ向かっているのかは判るけど、そういえばどこで何のために出かけるのか全然聞いてなかった。 キールも今思いついたように答える。 「そういえば言ってなかったな。岬の砦だ」 「なにかあるか?」 「……まあ、な……」 どこか言葉を濁して目を逸らす。 (またな……) さっきから、ずっとそう。 話しかければちゃんと笑って話を聞いてくれるし答えてくれる。 でも、ふっと思い出したように目を合わせようとするとなんだか慌てたように目を逸らす。 どこか行動がぎこちない。 嫌がられたり、うっとおしく思われているわけじゃないのが分かるだけに、どうすればいいのか分からない。 (どこにいくか……?) 深い意味があったわけでもなく、ただ何となく浮かんだその言葉が妙に不吉めいたものに思えて、メルディは小さく身震いした。 たくさんの想いを積み重ねて今がある。 『どんなに辛くても今が幸せ』 そう言った気持ちは変わらない。 でも。 積み重ねられた想いのその先は、一体どこにあるのだろう―― 静かに風が流れ、草が囁きを交わす。ここまではアイメンの光は届かず、柔らかな月の光の中で、星々が瞬きを繰り返す。 3年前、初めてキールがセレスティアのことを認めてくれた、あの時から変わらないままのこの場所。 風に流されて夜空に溶け込む濃紺の髪の行方を目で追う。 岬の砦に着いたっきり一言もしゃべらず、何かを待ってるみたいにじっと暗い海を見つめるその後姿にそっと溜息をついた。なんとなく話し掛けづらくて少し離れたところで星を見上げたりしていたのだけれど。 そっとそばに近づいて見上げると、いまだその瞳は遠くに向けられたまま。 「……なに見てるか?」 置いていかれたような気分に耐えられなくて、くいっ、と袖を引いて話し掛ける。 驚いたように一瞬目を合わせたが、その瞳はひどく困惑したもので。 「いや……そろそろ……に……」 口の中でぶつぶつとした言葉を呟いたきり、すぐにまた海の方へ目を向ける。 煮え切らない態度にイライラする。もう一度思いっきり袖を引っ張ろうとして。 不意に、はっとしたようにキールは海へと向き直った。何かを見据えるかのように目を細める。 そのかわりようにびっくりして、思わず声をかける。 「キール?」 「あそこ、見てみろ!」 興奮を抑えきれない様子で、キールは急に目を輝かせた。 なにがなんだかわけがわからなくて、ただキールが指差す先へ目を持っていく。 岬の向こうに広がる海は変わらず暗くて…… (……あれ?) 暗い水面の中、一つだけ僅かに明るいところがある。 違う、一つだけじゃなくて……ふたつ、みっつよっつ……あちこちに光が広がって―― だんだんその光をはっきりとわかるようになると、水面からゆっくりとその姿を現し始めた。 明るいけれど、瞳を射抜くほどではない優しい光の珠があとからあとから空へと昇っていく。 (これ……) 「クレーメルダスト……!」 ぼおっとする頭の中、やっとのことでつぶやいたその言葉に、キールは満足そうに笑った。 「精霊量の測定値を見て、今夜じゃないかと思ってたんだ」 思った通りだ、と瞳をきらきらさせているその姿がはじめてセレスティアに来た時とあまりにも似ていて。 思わずくすっと笑うと、洩れ出た息が白に彩られて目の前で霧散した。 普通に吐き出す息も白くなっていくのを見て、不意に寒さを感じ始める。 そういえば出る時急いでいたせいで、なにも厚着をしていなかった。歩いている時は気付かなかったけれど、じっとしていると慣れているとはいえ結構寒い。 なんとなく落ち着かない気持ちでいると、肩に大きな手が置かれた。 (あったかいな) 思わず息を吐いて力を抜く。肩に置かれた手で、自分が微かに震えていたことに気付く。 そっとその手の先をたどって見上げると、心配そうな表情があった。 (……?) 見上げた瞳の色がなにかと重なるように思えて……大切ななにかがあるように思えて…… 思い出すように目を細めると、ふわり、と肩に外套が掛けられた。 「……大丈夫か?」 『寒くはないか?』 気遣う声が、ぼんやりとした温かな記憶と重なって、わかる。 (コレ……) そっと目をキールから外し、昇りつづける光を見上げた。そう、これは昔見た憧憬。 肩に置かれた手の温もりに涙が零れそうで…… 「……はいな」 『うん』 少しだけ掠れてしまった声に目ざとくキールが反応する。 「どうかしたのか?」 「……昔の……シゼルがオモイデ、思い出したな……」 「メルディ……」 肩に置かれた手に込められた力にがこめられる。 痛いくらいに伝わってくる思いに、メルディは微笑を浮かべてキールを見上げた。 「シゼルがオモイデ、キールとおなじよ?」 独りで思い出せば、戻れない時を想って辛く思ったかもしれないけれど、今はそばにいてくれる人がいる。 「キールそばにいてくれるから、とてもあったかいな」 幸せだから思い出せたものだから。 そういってにっこり微笑むと、ぎゅっと顎の下に腕がまわされて、後ろから抱き締められる。 「……メルディ……」 吐息のような囁きがくすぐったくて、少しいやいやするようにメルディは身をよじった。 こつん。 その拍子に、なにか硬いものにぶつかる。 「? キール、ポケットになに入れてるか?」 背中に当たったなにか固い触感を持つものに、メルディは軽く目を瞬いた。 そぉっとキールを見上げると、クレーメルダストに照らされて青白かったはずの肌が見間違い用もないくらいに赤くなっている。 何気なくキールの額へ手を伸ばして触れると、とても平熱とは言えないくらいに熱くて。 「パイバ! キール熱あるよ!」 叫んで、混乱する頭で考える。いつから熱があったのだろう。気付かない内に無理をさせてしまっていたのだろうか…… そう思うと、思わず視界がゆがんでしまった。涙が零れそうになったのに慌ててキールが否定する。 「ち、違う! 風邪じゃない、風邪じゃないから……!!」 困ったように顔をしかめて、額に置かれたままの手をとった。 「ホントに?」 まだ、疑い深そうに見つめる紫水晶を真っ直ぐに見つめ返して頷いて見せる。 「ああ」 さっきなにかがあるといったポケットから小さな箱をとりだして、その手のひらに握らせる。 温もりと共に手渡された小さな箱を、メルディは首を傾げて見つめた。 「……なにか? これ開けていいか?」 「ああ……」 どことなく、緊張したようにも思える声。 そっと箱を開けて、中を見て息を呑む。 「キ……ル……!」 掠れた声を遠くに聞きながら、青紫の瞳を見つめる。 手の中にあるのは銀の指輪。 "インフェリアでは指輪を好きな人に送るのは特別な意味を持つんだよ" 一月ほど前に会ったとき、ファラが頬を赤く染めながら幸せそうに微笑みながら左手を見せてくれたのを思い出す。 "なぁなぁ、ファラが左手にある指輪ナニか?" "あ……うん……えっとね、これは……" 精巧にカットされたどこまでも透明な石に、クレーメルダストがいくつも通りぬけていく。 「これは……インフェリアの風習なんだ。……その……」 そのままきつく抱き寄せられた。触れられた部分がひどく熱くて…… 微かな吐息と共に耳元で囁かれた。 ――結婚してくれないか……―― 息が詰まって声が出ない。 嬉しいとかそんな言葉じゃ表せない。体の奥底から熱いものが込みあがって、今にも零れ出しそうで…… 「ヤ……ス……」 ピクリとキールの体が震える。 逃げないように、ぎゅっと背中に手を回して、繰り返す。 「……ス。ヤンス……ヤンス!」 「メル……ディ?」 戸惑ったような声に顔を上げる。 視界がぼやけてよく見えないけれど、深い青紫の瞳を見つめてメルディはいたずらっぽく笑ってみせた。 そっと左手をキールのそれに重ねて。キールの目が大きく見開かれる。 「お前……!」 「……ヤンス。はいな。メルディ、キールがこと、とてもずっと大好きよ。だから……」 『ずっと一緒にいような』 "これはね、『ずっと一緒にいようね』っていう約束。左手の薬指に填めておくものなのよ" 今なら分かる。ファラがどうしてあんなにも幸せそうに笑っていたのか。 溢れ出す想いに耐えきれず、キールの胸に顔を押し付ける。 やっと……わかった 分からなかったのは進む先 その先があなたと共にあることが出来るかどうか 求めていたのはこの温もり こんなにも近くて簡単に見つかるものだったのに でも もう大丈夫 あなたへの想い見失わないから これからもずっとこの温もりを重ねて 一緒に歩いていこう 数え切れない過去は現在を迎えるために。 広がる未来は約束のために。 始まったばかりの日記帳。 真っ白な空白に羽根ペンが今確かに滑り出した―― ”グイド ブルンスス ティアントゥ”
2001.07.20 [ 出雲 奏司 ]