「んー、いい天気!」 見晴台近くの丘の上。 午前中の作業の疲れを吹き飛ばすようにファラは大きく伸びをした。 いつもは見晴台の方に行くから、ここに来るのは久しぶり。 ゆっくりと腰を下ろして、そのまま背中から倒れこむ。 別に理由はないけれど、今日はただこのキレイな空を寝転んで眺めていたかった。 目の前いっぱいに広がる空に、セイファートリングは無い。 そのためか、以前に比べて少し色濃く深い色を見せる空。 (……リッドの瞳と同じ色) 見つめていると、吸い込まれそうになる。 そして同時に、それはどこか遠いことを感じさせて……不安になる。 (いけない、いけない) 放っておけば重くなりそうな考えに、ふーっと息を吐いて。 「お、どーしたんだファラ」 「リ、リッド!」 突然現れた耳慣れた声に、思わず息を呑んで叫んだ。 「でっけー声だすなよ」 耳を押さえるリッドに、ファラは唇を尖らせてそっぽを向く。 胸の鼓動がとても速いことを何故か気付かれたくなかった。 「だって、いきなり声かけてくるんだもん。しょうがないじゃない!」 やれやれ、と溜息混じりの言葉とともに下草の香りが届いて。 「で、どうしたんだ? こんなとこで」 向けられる視線を感じて、それを少しくすぐったく思いながら空を見上げる。 「……空を見てるの」 いや、そりゃわかるけどさ……と苦笑混じりの声が、だんだん大きくなって真横に降りた。 「珍しいな、おまえがそうしてるの」 笑ってるリッド。 顔は見えないけれど雰囲気で何となく分かる。そのことに少しだけほっとした。 「ねえリッド」 見ていたら眩暈がしそうなくらい遠い空。 一度そう思うとなんだか錯覚してしまいそうで怖くなって、無意識のうちに呼びかける。 「ん〜?」 視線を横にずらすと、すぐ傍らで同じように寝転がろうとしているリッドの姿が映った。 少し暗めの赤い髪が空の色に映えて舞う。 「……空ってさ、手、届くのかな……」 鮮やかな赤が柔らかな草色の中に沈んだのと同時に零れ落ちたのは、自分でも驚くくらいに静かな声。 案の定、リッドは訝しむような声で返す。 「なんだよ急に。なんかあったのか?」 「そんなわけじゃないけど……ただ空に手が届くのかなって」 チャットと一緒にバンエルティア号に乗って宇宙にまで出たけれど、空に届いたという感じはいまいちしなかった。 今まであっさり行き来してたせいか、かえってどんなものか実感がわかなくて。 いつしか当たり前になって、通り過ぎていってしまっていた、もの…… 「…………」 黙り込んでしまったリッドに、なかったことにしようと口にしかけて。 「……じゃあさ、手、あげてみな」 ふっと思いついたように顔を向けられた。 「え? こう?」 思わずそろそろと肩口の方に手をやる。 「違う、そうじゃなくて上に向かってあげるんだよ」 「……こう?」 体と垂直になるように手を突き出すと、満足そうに頷くのが見えた。 「そうそう。はい、届いた」 「……え?」 軽く言われた言葉に驚いて、思わずリッドの方を見る。 どうして、と問う瞳に、彼は当然のことであるように答えた。 「だから、空に手が届いただろ」 「え、でも……」 眉をひそめると、辛抱強くリッドは話しかける。 「手の向こうになにが見える?」 「……空」 「だろ? 手の上に見えるってことは届いてるってことだ」 「そんなのわかんないじゃない」 「じゃあ、おまえどこからが空か分かるか?」 「それは……」 うっと答えに詰まると、ほらなと言うように笑顔が浮かぶ。 「わからねえだろ? ってことはおまえやオレがここだって思ったら、そっからが空なんだよ」 「……うーん……」 少しまだ納得がいかなくてうなると、リッドは軽く息を吐いた。 「深く考えることじゃねえよ。らしくねーぞ」 見つめる空色の瞳はとても温かくて、浮かんでいるのは優しい微笑。 もう一度、上げたままの手とその後ろに広がる空を見上げた。 どこまでも遠くて、届かないように見えるけれど。 もしかしたら…… 「……ね、リッド」 「なんだよ」 「リッドはこの手、空に届いてると思う?」 どこまでも澄んだ空と、その瞳を見つめて。 やがて、空と伸ばされた手を見つめてリッドは笑った。 「届いてるだろ。オレたちが信じるなら」 その言葉にゆっくり頷いて、ファラも笑う。 「うん。そうだね」 勝手に距離を作っていたのは、わたし。 いつのまにか遠いのだと思いこんでいたけれど。 いつだって、こんなにもそばにあったのに。 「ありがと、リッド」 「は? なにが……っておい!」 上体をおこして腕をつかむと、リッドはにわかに慌て始めた。 「リッド、こっち向いて」 少しだけ引き攣ったように見える顔が、ぎこちなくこちらを見つめる。 その空色の瞳に映るのは自分。 そう。 こうやって、リッドは振り向いてくれる。 その空色の瞳にずっとわたしを映してくれていて、 つまずいた時には手を差し伸べて、進む場所を教えてくれている。 すぐ横で差し出されていた手に気付かずに、ずっとひとりでもがいていたけれど。 「……やっと、届いた」 「なにが?」 怪訝そうな表情をするリッドに、ファラはちろっと舌を出す。 「内緒!」 「なっ……気になるだろーが! 教えろよ!!」 「やーだ。教えないもんねー」 素早く立ち上がって、くるりと身を翻す。 ぱっ、とスカートについた草が振り払われて風に飛んだ。 「おい、待てファラ!」 「待たないよー!」 追いかける声にくすくすと笑いながら、忙しく足を進ませる。 リッドはここにいる。 どんなに距離を感じても、リッドはちゃんとここにいる。 そうわたしが信じれば、ちゃんと振り向いてくれるでしょ? ――でもね。 追いかけてばっかりじゃ悔しいから。 背中ばかり追うのは嫌だから。 「村まで競走だよーーー! 負けたらお昼ご飯抜きだからねっ!」 「ぁあ! 卑怯だぞファラぁぁ!!」 次から次へと溢れてくる笑いと嬉しさに、輝きが休みなく零れ落ちた。 軽くなった心に、鳥達の可愛らしい歌が跳ね回る。 今はまだ教えてあげない。 変わっていくことが、そのまま置いていかれることになるわけじゃないってわかったから。 これからも時間はたくさんあるんだもん。 もう少しだけこのままでいたいな。 ――ううん。 あなたがわたしに追いつけるまで…… わたしがあなたに追いつけるまで…… そうしたら、きっと―― 「リッド!」 「うわっ、ファラ急に止まるなあぁっ!!」 ファラが振り返るのと、リッドの絶叫と。 2人ともがバランスを崩した数瞬後、磨り潰された草と土の匂いが立ち上って。 お互い地面に両手をつけた。 むすっとする青年と、それを見てもなおにこにこしている彼女。 やがてどちらともなくくすくす笑い声が零れ出す。 そっと見上げると、あんなに遠く見えた ね、リッド。 この空に手が届くなら、わたしもあなたに追いつけるよね?
-END-
*ED後。ファラはリッドにコンプレックスありそうだという思いこみから書いた話。 2001.5.13 [ 出雲 奏司 ] |