セイファートリングが爆発した瞬間のことはよく覚えていない。
ただ、腕に抱いた少女だけは絶対に独りにしてはいけないと強く思うばかりで。
空に浮かんでいたセイファートリングが爆発と共に消失した後、光に包まれてメルディと2人岬の砦に降りてきたのだと、気を失っていた自分たちをアイメンまで運んでくれたサグラとボンズに言われたが、実際がどうだったとかどうして助かったのかは知りようもなく。
ただ全てが終わった時、故郷であるインフェリアに戻れないかもしれないという絶望よりも、メルディと共にいられたことに安堵し感謝する自分がいた。
漸近線 -- Wish or Still ... ?
「う……ん?」
どこかぼんやりと霞がかった意識で彼は目を開いた。
薄暗い机の上に浮かび上がるインフェリアとの相対距離の割り出しをしかけた数式。
……どうやら、またしても作業したまま眠ってしまったらしい。
枕にさせられていた腕が痺れを伝えてくる。
痺れを取ろうと腕を動かそうとして、ふっと思いつく。
少し視界を転じると、端書をしていたメモ用紙……と青い毛玉、ついでに毛布。
傍らには静かな温もりまで感じられて。
「…………」
はあ、と溜息を吐く。
と、いうことは……
ゆっくりと体を動かさないように首だけを回すと、
「……やっぱり……」
紫水晶を溶かしたような髪を見つけて、キールはもう一度溜息を吐いた。
グランドフォールを止めるためにセイファートリングを壊した結果、恐らく本来の姿であろう独立した惑星となってしまったインフェリアとセレスティア。
しかし、その距離はどうやら想像していたものよりかなり近いらしい。
空間的なつながりが消失すると言った自分の考えは当たらずも遠からずといったところか。
とにかくインフェリアへ行ける可能性が見えてきたのは確かで、現在シルエシカのメンバーやインフェリア、セレスティアそれぞれの技師、そしてやはり無事だったガレノスと共に、この2つの惑星を行き来するための方法を探している。
文字通り『寝る間を惜しんで』研究を続けているため、気がつけばうたた寝しているのはしょっちゅうのこと。
しかし、いつからだろうか。
そのうたた寝から目を覚ました時、気遣うように毛布が掛けられるようになったのは。
そして傍らに彼女を見つけるようになったのは。
「……また、今日もなんだな……」
呟かれた言葉はどこか悔しさのようなものを帯びていて。
込み上げてきた息苦しさに、キールは深く息を吐いた。
……メルディは。
普段はなんでもなさそうに笑っている。辛そうな素振りなど欠片も見せない。
だからずっと、笑っているならいいと思っていた。
無理に言わせて不用意な言葉を言って、傷つけてしまうくらいなら。
短い期間にメルディはあまりにもたくさんのものを失い、傷付いた。……傷つき過ぎた。
だから下手に構うより、時間が癒してくれるのを待つのが一番いい薬だと。
できることといえば、ただ寂しくないように傍にいてやることだけだと自らに言い聞かせて。
そうやってやってきた。
しかし、いつの頃からだろうか。
うたた寝する自分の傍らで涙を流し、まるで縋りつくように寄り添って眠る彼女を見つけるようになったのは……
なるべく動かさないようにしながら、自分に掛けられていた毛布でメルディをくるむ。
涙を流すことはメルディの失ったものの大きさを思えば、それほど不思議なことではない。
それを我慢する必要など全くないし、むしろそんなことなどしない方がいい。
問題なのはその時と場所。
「なんでぼくが寝ているときなんだ……」
ただ泣きたいなら、落ちつくまで傍にいて欲しいと言ってくれればいい。
一人で誰にも知られず泣きたいのなら、そもそもここへ来る必要もないだろう。
そのどちらもしないということは、他人に……自分に気付かれないようにしようと思っているから。
そしてそれでもここに来ているのは、やはり誰かに縋らずにはいられないから。
結局……気を遣われているのだ。
余計な心配をさせたくないという、それがメルディなり思いやりであり優しさであるとは分かる。
しかし、その想いはこちらにとってあまりにも痛いもので……
「まだまだ……なんだな」
自分の力のなさと、未だどこか境界をひかれているその事実。
この姿を見るたびに繰り返される苦い認識。
全てをさらけ出してもらえるほどにはないのだ自分は。
それをもどかしく思うのに何をすることも出来ないでいる。
ただ壊れ物を扱うようにしながら馬鹿の一つ覚えのように傍にいるだけで……
「重症だな……」
呟いて天井を仰ぐ。
しなければいけないことは多いのに、放っておけばいつまでも泥沼な思考の迷路をさ迷ってしまう。
不可知なる物は未だ多く、大学で得た有益なはずの知識は無価値なものと成り下がる。
「本当に、どうすればいいんだよ……」
あどけない寝顔は物を言わず、ただ髪が窓から射し込む街灯にきらめく。
これまで何回も「こんな真似をするな」と言おうとした。
(でも……)
言える……はずがない。
そっと手を頬に触れさせると、乾いてはいるものの思った通り涙の跡があった。
胸に走る鋭い痛み。
こんな風に涙の跡なんて見せられたら……なにも言えなってしまう。
せめて、寝ている時だけでも自分を頼ってくれているのだと満足しなければいけないのだろうかと、思ってしまう。
頬に当てた手をそのまま髪の方へ滑らせる。
ゆっくりと優しく髪を梳いてやるとふわりと微笑んだ。
つられて思わず微笑んでしまうような、そんなキレイな微笑み。
……もしかしたら。
大切になり過ぎて怖いのかもしれない。
言ってしまうことで相手を傷つけはしないかと。
いや、聞いてしまうことで自分が傷つきはしないかと……
一度得られた信頼を自分の手で壊すことになる気がして、一歩が踏み出せない。
その為に、未だ一番肝心な所で重なりきれないままで……
視線を感じて少し目を落とすと、琥珀の光。
「……クィッキー」
もぞもぞと動き出した青い毛玉に思い出すことがあり、溜息混じりに呟く。
「メルディと来る時には起こしてくれと言っていただろ?」
クィ、と短く答える琥珀の瞳は心外だと言うように少し目つきが鋭い。
ということは一応起こそうとはしてくれたのか。
文句を言うのは筋違い。
そう言われたような気がして、少しだけ微苦笑(わら)う。
「……悪かったよ」
軽く頭を撫でると、嬉しそうに腕に体を擦りつけてきた。
そのままクィッキーを肩に乗せて、考え事から頭を切り替える。
メルディが目を覚ます前に部屋で寝かせておかなければいけない。
メルディは泣いていることを知られていないと思っている。
気付かないうちに自室で寝かされても何も疑問を持たないところを見ると、少しの間だけここに来ていると考えているのだろう。
翌日になれば本当に何事もなかったかのように振舞う姿は、ともすればほんとに夢だったのかと思わせるほどだから。
起こさないようにそっと抱きかかえて立ちあがる。
……こんなことをする度に思ってしまう。
苦い思いをしながらこうやって気づかれないように日常を続けようとしている自分は、何を望んでいるのかと。
……怖いのだ。
例え仮初めにしか過ぎないとしても、穏やかな今から抜け出したくない。
真実を追究して止まないはずの自分が、メルディに関してはためらいが先走る。
このままでいいとは、決して思いはしないのに……
「なあ、メルディ……」
眠り姫のほか、誰に言うでもなく零れ出る声。
「言ってくれなければぼくには分からないから……」
だから……
「別に理由まで言わなくていいから、辛いならそう言ってくれ。
我慢されて、抱え込んでいるのを見て一番辛いのは……ぼくなんだぞ……!」
愚痴るように呟いて、はっと我に返る。
……今、自分は何を……
数秒間その場で直立し、自分の言った言葉をゆっくりと理解して。
部屋の気温が一気に±30度ぐらいずつ変化した。
大慌てでメルディを見ると、先程と変わらず静かな寝息を立てている。
はあぁぁぁ、と盛大に息を吐き出して。
ふっと笑いがこみ上げてきた。
メルディだって言って聞かせなければ分かりはしないのだ。
取り敢えず当面の課題は、"このことをメルディが起きている時に伝えること"となりそうだ。
夜明けまでにはまだ時間がある。
メルディを運んだらもう一眠りしよう。
そんなことを考えながら、転ばないようにゆっくり足を運ぶ。
腕の中にある確かな温かさを感じながら……
夜はまだ明けないけれど、きっとまた朝日は昇る。
僅かずつではあるが、確かに夜明けは近づいていた。
-END-
*漸近線 --限りなく近づくけれど重ならない線、と思ってもらえれば。
2001.4.21 [ 出雲 奏司 ]