「……約束しろ! 必ず生き残るって! でないとナタリアも俺も…悲しむからな!」 「うるせぇっ! 約束してやるからとっとと行け!」 最後までしつこく食い下がるヤツの遠ざかる足音を、閉じた扉の音で断ち切る。 同時に大きさを増す別の複数の足音によりかき消された約束の声を聞く。どうやら自分の『約束』は最後まで破られる為にしか存在してくれないらしいと、皮肉な思いで音素を送っていた床から手を放す。眼前にあるのは、数えるのも面倒なほどの群れ。 「……俺には時間がないんだよ。俺は……もうすぐ消えちまうんだからな……」 被験者でありながら、レプリカなどに存在に食われることを、認めることに他ならない言葉。 事実、こうしている間にも音素化が進み力が失われつつあることが分かる。そう、長くはないだろう。 だが、その心はやけに静かだった。冷え冷えと、落ち着いている。 見据える先にある、見慣れた甲冑をまとった連中がわずらわしい音を立てながら近づいている。こちらが『鍵』を持たないと気付いたのだろう。にわかに慌てだした兵たちが、色めきたち荒い殺気と共ににじり寄る。 「そこをどけ!」 警告の声は、それでもかつての同志たる衣を纏っている所為なのか。その目は節穴かと問う代わりに、目を細め一触即発の空気の中で、笑った。 「……断る」 居場所を追われ、存在をかけた勝負に敗れ、振るっていた剣をやり、残された時間は幾許もない。 文字通り全てを失ったはずなのに、出たのはその言葉だった。 end of hide 『今日からお前は"アッシュ"だ』 誘拐され、そう言われ伸ばされた手を取ったのは、すでに居場所が奪われていたことを痛感していたから。 以来新たに与えられた"アッシュ"という居場所を守る――師であるヴァンに必要とされること、唯一残された培った剣の腕と残り香のような過去の思い出、そして『ルーク』を奪い去ったレプリカに対する憎悪だけが、自分の全てだった。 そう、ずっと望んでいたことだった。唯一残され培ってきたこの力で、全て決着をつけるのだと。 幾度か剣を交えた場所とは酷く対照的な、白亜の石材に囲まれた一人しか先に進めぬその場所で。互いにまるで計ったかのように同時に剣を振り上げた。 幾度も、振り上げた剣を打ち出し、打ち返され、打ち出され、打ち返す。ずっと、その繰り返し。 互いに同じ流派で、そして同じ師を持つが故に、技を出すタイミングも、状況判断も手をとるようにわかってしまう。 決め手を欠いたまま、ただ激しい剣戟の音が支配するのみの時間。 「何でだよっ、なんでこんなことをしなきゃなんねーんだよっ!」 無限に続くかとも思えるほどの打ち合いに、ついに焦れた様に相手が声を上げる。同時に振り下ろされた剣を歯を食いしばり受け止め、怒鳴り返す。 「くどい! 俺はおまえに場所を奪われたんだ! 奪われたなら力ずくで取り戻すまでだ!」 力が拮抗し、動かぬ剣を挟みにらみ合う。 「7年前はそうだったかもしれない。でも、今は違うだろ!? 父上も母上も伯父上もナタリアも…俺だって! おまえが帰ってくるのを待ってるっ」 『ルーク! ルークなのですね!』 『アッシュ……"ルーク"!』 一瞬だけよぎったものを意識から締め出し叫び返す。 「理屈じゃねえんだよ! つべこべぬかすんじゃねえっ」 「こんの…っ、分からずやっ!!」 ギリギリと、金属同士のこすれる音をいっそう激しくさせながら、相手が押し返されまいと一歩を踏みだす。最早互いの息がかかりそうなほどの至近距離で、怒りとも違う意思を持つ瞳がまっすぐとこちらを見据えて、はっきりと口を開く。 「認めろよ!! おまえは誘拐されたままじゃない! もうとっくに誘拐は終わってんだよ!!」 「うるせぇっ!!」 ガンッ! と渾身の力をかけ大きく打ち払う。意味の分からない――無意味な問答を振り切り、切り捨てるが如く。 がくんと、その力に耐えかねたかのように向かい合っていた剣先が落ちる。その一瞬を逃すほど愚かでも甘くもない。 「終わりだっ!!」 叫び、止めとばかり渾身の力で剣を振り下ろそうとした、瞬間。 目が、合った。 同じ色を持つその瞳は、予想に反して諦めを知らぬかのようにまっすぐにこちらを見ていた。 驚愕にこちらがほんの僅か怯むのと、視界の端で相手の剣が閃くのを認めたのは、同時。 絶叫のような裂帛の気合をぶつけ声を上げたのは、どちらだっただろうか。 酷くゆっくりと相手の腕が振り抜かれていくのを知りながら、目を見開く。視界に翻った紅は髪だったのか、血だったのか。ぐらりと世界が望まぬ形に揺れ、足がふらつく。 一閃したのは、剣の反射光か瞳に宿る光だったか。 何もかもが判然とせぬまま、視界が鋭い光に白に染まる。 ざわり、と。 不穏な形に動いた空気に、急速に時間が引き戻されれていく。今対峙するのは、数多の教団兵。この手には、あの時握られていた剣はない。 負けを認め、この手に唯一残っていた振るっていた剣を……鍵をくれてやった。唯一残っていた剣の腕でも敗れ、鍵を託すことで、もうこれ以上何も失うものなどないのだと……そう思ったから。 だが、クリアになる意識の中で、隙無く眼前の教団兵を見据えながらも違和感が生じる。 ならば、ここに残っている『俺』は何だ? 全てを失ってなお約束までさせられ、それゆえ今も群がる雑魚に「断る」などと拒絶の言葉を吐いた『俺』は。 (俺、は) もう残されたものなど何もないと、そう言っていたはずなのに。 『それでも、俺は俺であると決めたんだ』 あいつの言った言葉が、耳奥で反響する。 どこかで、わかっていた。その言葉を聞いた瞬間、もはや『被験者』も『レプリカ』も……そのどちらも意味をなくしていたのだと―― (……そういうことか) 唐突に、自然に零れてきた言葉の意思に、気付いた。 決着が付いたあの時、それでもあの『場所』に立っていたのは、『二人共』だったのだ。 ……笑えてくる。この期に及び、全てを失ってはじめて気付いた。結局何も失えていなかったことに。 ずっと失われたと思い込み、それでも望んでいたものは、確かにあった。 長く帰ることなく、ただ恨みに思うことすらあったのに、我が子と……『ルーク』と呼んだ父母。 無効にされておかしくなかった幼い『約束』を抱き、ただ一人でも守り続けていたナタリア。 共に行こうと、そして恐らく誰よりも互いの存在を認めていた――ヤツ。 それを、ただ『レプリカ』の存在があるがために、過去の誘拐を盾に頑なに認められずに来たのは他でもない自分。 ヤツの言う通り、誘拐されたという事実にしがみついていたのは、自分だった。 そんなものを、こんなとこまで引きずってきてしまっていた。馬鹿馬鹿しすぎて笑えもしない。 だが拒絶の言葉に対して答えるように周囲で鳴り始めた抜剣の音の中、内にあったのは久しく感じることのなかった開放感だった。 ならば、ここで最後の柵を断ち切ってやろう。 こんなやつらを止める犠牲となって、死んでやる気になどなるものか。たとえ無駄と悪足掻きと言われても、最後その時がくるまで生き延びてやる。その行き着く先が生であれ死であれ、剣さえ失おうと、俺はこの身一つでも俺であり続る。 そう、死を覚悟したアイツと俺の、どちらが最後まで立っていられるか、賭けてみるのも悪くない。 「お前たちの相手はこのアッシュ――」 長く使い馴染んでいたつもりになっていた、その名。 それは奪われ、妬み……攫われたときのまま、ずっと『 「――いや」 それはもうとうに終わりを告げている。俺は俺の意思でここに残り、拒絶を選んだ。 そして今なお残り続ける『約束』は、全てを失っている今も確かに自分の中に残され、未来を指している。 それに気付くことにここまでかかったことに、そしてもう一人の『ルーク』によって思い知らされたのが癪に障る。だが、それについて文句を言うのは、こいつらを片付けた後だ。 殺到する下級教団兵を見据えて。不敵に口の端を吊り上げ宣言する。 そうだ。認めてやる。俺は―― 「ルーク・フォン・ファブレだ。覚悟しな」 ――『誘拐』はもう終わりだ。
-END-
『アッシュ阿弥陀企画』様に投稿させていただいたもの。お題は『誘拐』でした。 自分の中でも、彼らの「決闘」はこれが全てではありませんが、一つの見方として見て頂ければと。 ……白状します。お題聞いて一番最初に浮かんだある一文書きたいがために、これ書きました(ぉ 2006/07/05 初出 【出雲奏司】 |