Te Deum  <Tales of the Abyss <TOP



「ご誕生になられました! 元気な男の子でございます!!」

 きっと。
 私はその赤子の泣き声と、その言葉の事実の至上の喜びと、僅かな――惧れを。
 生涯、忘れることはないでしょう。



  Te Deum 


 ……思えば、ずっとただ受け入れ続けてきたのかもしれない。
 紙細工のように脆いこの体は、幼少のころから幾度も命を危ぶまれてきた。
 制限のかけられた行動、場所、食事……数え上げればきりがないほどのそれら。なにより、思うように動かぬ体は、そのほとんどが床にあることを余儀なくされており、自ら為し得た事など無に等しかった。
 そうして生きて成長していくうえで、私になにより求められたのは、取り囲む環境や外部から与えられるもの全てを『受け容れる』こと。
 そして、王族にのみ知ることの許された『秘預言』の存在を明かされた、その時も。
 与えられたのは『肯ぜる』という、その選択肢だけだったのだ。

「……やはり、『私の子』ですのね……」
 『ユリアの預言』に詠まれた"聖なる焔の光"が我が子であることを告げた兄王の言葉に、それ以外の何を言えただろう。きつく目を閉じ、俯いた。
 心の痛みだけで、押し潰されそうだった。そしてそれは想いに呼応するかのように酷い咳をもたらし、微かに鉄の味を口内に滲ませる。幼い頃から、馴染んだそれ。
 ――王族に生まれ育つことがなければ、成人することもおそらく叶わなかった。
 そういわれていることを知っていた。そして、事実であろうことも。
 それほどまでに脆弱な体でありながら、我が子を身ごもったのだと知ったとき。それこそが預言に記された者である確かな『証』であるのだと……思わぬわけではなかった。そのときも、やはり惧れを感じていたではなかったか。恐らくは、兄王も預言士も知っていたのだろう。
 だが、伏せた。恐らくは、贄となる赤子の流産を恐れて。あるいは、それすらも預言に読まれていたのだろうか。
 そのように淡々と浮かぶ思いは、まるで他人のものであるかのよう。
 ……今更、何を言ってもようを成さないことは、分かっているけれど。
 それでも、目の奥でがらがらと音を立てて壊れていくものの存在は、なんだろう。最早、確かめる気にも、なれなかった。
 ただ衝撃はあまりに強く、全てを麻痺させている。
「シュザンヌ……」
 すまぬと、告げられた言葉に、目を閉じたまま首を左右に振る。その現実を直視することは、出来なかった。
 だが、口から滑り出る言葉は、尽く抱く思いに裏切りを告げる。
「私とて、王家に生まれた者です。預言に従うべきこと……そしてそれが動かせぬものであることは、承知しております」
 そう、確かに覚悟していた。そのはずだった。『王家に連なる者』その年。符合する要素を一番持っていたのは、自分だったから。否定しようのない事実だった。
 それでも、心のどこかで「もしや」と思っていた。もしかしたら、全く違う他の誰かを指しはしないかという……今となっては愚かしい、望みを。
 閉じた視界の光の射さぬ世界に、王であり兄である者の声だけが響く。
「ファブレ公爵にも、先程伝えた」
「あの方は、何と」
「『承知いたしました』とだけ言って退出した。……声が、震えておったよ」
「…………」
 項垂れるほか、どうすることも出来なかった。その様子が、目に浮かぶようだ。王家に連なる者としての矜持と義務を何より重んじる方。
 ……そして、感情を強く出すことを良しとしない方だから。
「……お前たちには、辛い思いをさせる」
 やり切れぬ想いが、閉じた世界に耐え切れず瞳を開けさせる。このままでは、恐らくは耐えられない。
「申し訳ありません。……まだ、体調が優れぬようですので、暫く休ませていただきますわ」
 呪いの言葉を紡がぬよう、口早にそこまで告げて目を開けて。そうしてようやく見ることの出来た兄王の顔は、憔悴したかのようにやつれて見えた。僅かに心に澱んで積もりつつあった黒い染みのような呪詛が、揺らぐ。
 異母義兄とて、平気であろうはずがなかったのだと、悟ってしまった。
 己が子ではなくとも、近しき身内の……何よりこの方もまた、王である前に同じ子を持つ親なのだから。どれほど、苦しんだのか……苦しんでいるのか。
 そうだ、分からぬはずが無いのだ。ナタリアの誕生を、そしてその成長を慈しみを込めて育んでいるのに。
 こみ上げてきた思いに、再び俯いて唇を噛み締める。ひそやかであれ恨みをぶつけるべき相手さえも喪われて。呪詛を繋ぎ止めるのも、消しきることも出来ぬ、力の入らぬ両手が恨めしい。
 その葛藤を知ってか知らずか、兄王の言葉が染み込む。
「……ゆっくりと養生しなさい」
 溜め息のような、言葉。けれど心からの気遣いの言葉に、精一杯の笑みを浮かべて見送る。
「ありがとうございます……」
 何の芸もない、使い古された『感謝』の言葉。それはあるいは、罵詈雑言よりも鋭い刃として互いを傷つけたのかもしれないけれど。
 まるで逃れるように、先程まで向けられていた目は伏せられて。ぎこちなく背を向けた兄王の足取りは、引き摺るように重い。
 軋む木の音を伴い閉じられた扉の音は、真綿で首を絞めるかのような感触を残し、空しく響いた。
 元々人払いしていた部屋は、容易く静寂に包まれる。そして、行き場をなくした絶望にも。
 ようやく得たはずの私の、成した子。そして同時に、王国繁栄の贄として、定められた子。
 どうすれば良いのか分からなかった。どんな顔で、どんな思いで、これからあの子を育めばいいのだろう。傍に感じられないことが、余計に恐怖を煽る。
 果たして、その行為に意味などあるのだろうか――――
 ともすれば深淵に沈み込みそうになる思考が、控えめなノックの音により遮られる。
 入るように促した後入室したのは、生後間もない我が子を抱いた乳母だった。
「先程お休みになられたので、お連れ致しました」
「そう……」
 ゆっくりと顔を向けると、乳母の表情が困惑と恐れに凍りついた。
「奥様……あの、お顔の色が優れませんが……」
 よほど酷い顔色なのだろう。狼狽する乳母を落ち着かせるために微笑んでみせる。
「大丈夫よ……抱かせて頂戴」
 不安そうにやや躊躇いがちな乳母の腕から、半ば奪うようにして我が子を胸に抱いた。産着に焚き染められた香に混じり、赤子特有の甘酸っぱい香りが鼻に届く。抱いた胸に確かにある温もりが移る様に、瞼が次第に熱を帯びて。
 ――そこには小さな息遣いが、鼓動が、確かにそこに生きていることを伝えていた。
 瞬間、酷く熱いものが胸にこみ上げて溢れた。

 ――嗚呼。

 言葉にならず零れた吐息はどんな叫びか。溢れるものを押さえつけ、ゆっくりと口を開く。
「……あなたは“ルーク”なのね……」
 王家の象徴たる焔の色を持つ、その産毛のような髪に触れ、囁く。
 その名に浮かぶのは、痛み。だが、その預言は、少なくとも17年間は生きていてくれることの証にも他ならなかった。
 そんなこの子のために、何が出来よう。その答えは、何より私の近くにあった。そう。
 ――総てを、受け入れよう。今確かに存在するこの命のぬくもりも、失われると『預言』されたその事実も。
そして何より、愛されて生まれたなによりも確かなこの想いを。それだけが恐らくは私に出来る最大のこと。
 預言された“ルーク”である前に、自分の子であること。たとえ与えられた時間が短く、運命が定められていようと……いや、だからこそ。この子を愛すのだと。そう、確かにこの子は私がこの身を痛め、生んだ子なのだ。キムラスカの繁栄の人柱の為に生まれたのではなく、確かに私に望まれて……愛されて生まれたのだ。
 これまでの私が失い続けて、事実を受け入れてきたことが、この子を愛することができるためのものであったのというならば、それでもいい。今この子をいとおしむこの気持ちに、それ以上のいかな感情も理由も必要ではない。

 だから。未来に対する謝罪ではなく、今健やかに生まれてきてくれた感謝を。



 視界を曇らせ、頬を濡らした雫の感情は何だろうか。
 知ることが出来ぬまま、だが確かに感じる幸福にシュザンヌはそっと微笑んだ。
「あなたに会えて嬉しいわ……ルーク」
 大切な、愛しい子よ。その限りある生に、限りなき祝福を。
 
 
――だが願わくば、貴方の行く道が、ただ受け入れるだけの生で無きことを。





-END-



*Te Deum : 神の恵みを感謝する祈りの歌。

ND.2000ファブレ公爵家にて。
王族ってことは、シュザンヌも預言を知っていたのではないかと。
そうでなければ、あの度を越した甘やかしの理由がつかない……と、思うのですが。どうでしょう。
(ルークの優しさを褒め、嘘をついたことを窘め、ティアにもああやって声をかけるお方ですから)

2006.2.23 [ 出雲 奏司 ]
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