『どうして好きなの?』
その言葉を向けられた当人は、目を瞬いた。
ことの始まりは、いつものようにヴェイグに素気無くあしらわれた、ティトレイのその一言なのだろう。
「ったくよー、何でクレアはこんな無愛想で根暗なヤツのどこがよくて付き合ってられるんだ?」
本気ではないだろうが、恨めしそうに呟く言葉はいつも聞き慣れたものの亜種程度のもの。自他共に認めるほど正反対な性質を持っている同年の男の言葉に、ヴェイグはさして関心を向けずに剣の手入れを続けていた。相手にするだけ時間の無駄ということは、よく分かっているからだ。
その代わりというわけでもないだろうが、似たり寄ったりの性質を持つマオが大抵ティトレイの言葉を継ぐ。
「あ、言われてみれば結構不思議だよね」
ずずず、っと手にした飲み物でのどを潤しつつ相槌を打つのに、俄然力を得たようにぐっとティトレイが拳を握る。
「だろ!? いくら兄妹みたいに育ったっつっても限度があ――って、おい! いきなり抜き身の剣を部屋で振り上げるなーーー!!!」
同士を得たと勢いづいて滑らかになった口のごく近い位置である首筋に、ヴェイグが手入れを終えたばかりの大剣をつきつければ、今度はうるさい絶叫が耳についたようだ。露骨に顔を顰めながら彼は嘆息する。
「うるさい。周囲の客の迷惑を考えろ」
「お前こそいい加減これくらいの軽いジョーク流せよ! って、マジでその据わった目と剣をどーにかしろっ!!」
静かに冷気を放つ一方で、落ち着きなく悲鳴や絶叫が飛ぶのも、そう珍しい光景でもない。いつもならば放っておけば適当なところで片がつき、それで終わるはずだった……のだが。
その流れを変えたのは、マオの一言だった。
「じゃあさ、ヴェイグはクレアがどうして好きなの?」
ぽかん、とでも言うのだろうか。虚をつかれたことが明らかな表情で、ヴェイグは唐突に動きを止めた。そのせいで僅かにずれた切っ先に慌てるティトレイをよそに、何かを考え込むように沈黙する。
事実、ヴェイグは考え込んでいた。
いや、『何でそこでそういう話になるんだ』という思いも過ぎっていたが、『どうして』という言葉に対して咄嗟に理由が思いつかなかったのだ。
逐一上げていけと言われたら、いくつかは答えられるだろうか。
例えば。
――ずっと、一緒にいた。
――初めて会った時から、手を差し伸べて、握ってくれたから。
――誰かの為にばかり行動する分だけ、自分が守りたいと思ったから。
――これまでどれほど守られ、与えられ、救われたのか分からない。だから……
思いつく色々に、『でも』と思う。
どれも正しいし、間違ってはないと思う。
でも、何かが違う。それらは理由にもならない気がするのだ。それこそはっきりした理由はないのだが。
いざ理由を問われると、どれもこれも違和感ばかりが纏わりつく。じゃあ、何で好きなのだろうか。
「……おい、フツーそこで考えるかぁ?」
答えもなく沈黙するヴェイグ……というよりは剣からさりげなく後退りしつつ、突っ込むことを忘れないティトレイ。
「あー、ほら、難しく考えなくてもいいからさ、きっかけとかなかったの?」
自分の言葉が起こした思わぬ結果に、フォローのつもりか、それとも好奇心を刺激されて――おそらく後者だろう――首を傾げるマオ。
「…………」
その言葉も耳に入ってなお、ヴェイグは眉間にきっちり皺を刻んで考えている。
確かに二人が言うように、きっかけや、何らかの理由があるはずだ。色々な思い出や言葉が浮かんでは消えて、浮かんでは消えて……――
……だが。
「……分からない」
「「はぁ?」」
どうやら声に出ていたらしい。同じタイミングで素っ頓狂な声を上げた二人の声が聞こえたが、どうしようもないとヴェイグは頭を振った。
「理由が思いつかない」
我ながら馬鹿げた答えだとは思いながら、ヴェイグは溜め息交じりでそう吐き出す。嘘ではない。本当に思いつかないのだ。
救われた。一緒にいてくれる。無条件で、いつだって手を差し出して受け止めてくれる。
どれも正しいが、どれも違う。一番しっくり来るのは……
「強いて言うなら……」
「「いうなら?」」
こういう時ばかりは息の合う二人だ。興味を持たせ、同時に付き合うことになってしまったことにいくらかの後悔を感じながら、ヴェイグは結論を告げた。
「『クレア』だからだ」
そうとしか言いようがないのだ。嘘をついてはいない。
案の定「逃げる気かコラー!」「理由になってないんですケドー!」などと聞こえてきたが、完全に無視を決め込んで、ヴェイグはさっさと目を閉じた。
* * *
「――て、ことがあったらしいわよ。すごいわね?」
どこか面白がるようにヒルダはそうその話を締めくくった。ティトレイとマオから愚痴交じりに聞かされた話ではあったが、ヒルダにしてみればただの凄まじい惚気話にしか聞こえない。
「ヴェイグらしいわ」
だが、ヒルダの言葉の含みを気にした様子もなく、話題の当事者のクレアは純粋にその話をくすくすと笑う。
人に何かを伝えるのを苦手とする彼のことだ、きっと言葉が足りなくてそんな返事になってしまったのだろう。そうクレアがいえば、そんなところでしょうねとヒルダも応じたが。
そのあまりの反応の薄さに、気付いていないのかとからかうつもりで問いかけてみる。
「で、あんたはどうなの?」
「え?」
「『理由』よ。あの鈍感がどうして好きなの?」
決まってるでしょ、といわんばかりの流し目を送られて、クレアは片頬に手のひらを添えた。悩むように、長い睫を伏せがちにして瞳をさ迷わせる。
幾度か彼女はゆっくりと瞬きをし、やがて何かを確かめるように深く『うん』と一人頷いて。
再度上げられた碧の瞳は、今度は深い濃紫の瞳を、迷いなく見据えた。
「理由なんて、ないのかも」
「……え?」
思わぬ返答に虚を突かれた様子のヒルダに、クレアは困ったように、そして確かめるようにゆっくりと言葉を紡いだ。
「だって、私たちが息をするのは、当たり前のことでしょう? 私にとっては、同じくらい、ヴェイグを好きな気持ちは自然だったし、彼以外の人をこんな風に好きになるなんて、思ったこともないんだもの」
「……ご馳走様」
こっちもこっちですばらしい惚気だ。
げんなりとした表情で溜め息をついたヒルダに、クレアは屈託なく笑った。
『理屈じゃない』の極致。ここまでくると最強です。もどかしくもなんともなくなってます(ぉ