2.あと、10センチ  <Tales of ...  <TOP


 立ったまま、盛んに両足のかかとを上下させて。時折顔を見上げたまま何かを考えている様子で、「うーん」と小さな音が零れている。
「……なにかついてるか?」
 じっと見上げられ、かすかに居心地の悪さをを感じてヴェイグが声をかければ、一瞬いたずらが見つかったような表情がクレアの顔に浮かんで。しばらく躊躇うようにしながらも、やがて彼女は口を開いた。
「背伸びしても、ヴェイグの背にはあと10センチくらい届かないなぁって。旅の間、少し背が伸びた?」
「計ったわけじゃないから、分からないが……」 
 そうなのだろうかと傾げて考え込んだヴェイグに、くすくすとクレアが笑う。
「そうね。伸びたのって、自分じゃなかなか分からないもの。ね、覚えてる? 小さいころ、やっぱりあなたに同じようなこと言って困らせたこと」
 それは、やっぱりふとしたことがきっかけだった。
 以前はそれほど変わらなかったヴェイグの身長が、クレアのそれを目に見えて越しているのに気付いて。それをどうしてもいやがったクレアが"先に大きくならないで"と駄々をこねたのだ。
 もちろんそんなことを言われても出来ない約束だったから。言われたヴェイグはもちろん、両親にも随分宥めすかされた覚えがある。
 ヴェイグもそれを思い出したのか、微かに苦笑を浮かべ頷いた。
「……ああ。泣き止まなくて、どうしたらいいのかずっと考えていたな」
 それは至極真面目な表情だったから、クレアは困ったのと嬉しさをない交ぜにした表情で目尻を下げる。
「うん、今でも覚えてる。たくさん、いろんなこと約束してくれたよね」
 追いつくまで牛乳はいつもの半分しか飲まないとか、一緒にいるときは出来るだけ同じぐらいの高さに屈むとか……他にも、たくさん。
 その約束は少しの間だったけれど。見かねた両親が、頑なに約束を守ろうとしていたヴェイグに何とかして牛乳を飲ませようとしていたというのはポプラおばさんから聞いたこと。そしてそれもあって、クレアに踵の高い靴をプレゼントしてくれたのだと知ったのも随分後になってからだ。
「あの時ね、ちょっとだけ怖かったの。このままずっとずっと追いつけないままで、もしかして届かないくらいになったら、もう私のことを見てくれなくなっちゃうんじゃないかって」
 高くなったヴェイグの視界に入ることは、彼がそう意識しなければ出来ないと思ったのだ。見える景色ももう同じように共有できないのかと思って、もしかしてもう一緒にいられないのかと思って。
 今思えば幼い感情だったけれど、そのときの自分にとってとても切実な問題だった。
「そんなこと、ないんだって。すぐに分かったけど」
 そんなクレアに、ヴェイグは一生懸命悩んで同じ高さでいてくれようとした。それに安心して、駄々をこねるのを止めたのは本当。
 それでもこんな風にごくたまに、やっぱり少しだけ残念に思ってしまうのだ。
「ずるいな。結局いつまで経っても追いつけないなんて」
 仕方がないことだって、分かってるけど。そう言ってクレアは少しだけ意地悪のつもりで、拗ねたようにむくれた表情でヴェイグを見上げる。
「…………クレア」
 返答に困って名前以外の紡ぐ言葉を失ったヴェイグの表情に、耐え切れずクレアはくすりと笑った。そう、不器用だけれどいつだって自分のわがままを突き放さず受け止めてくれる。
「困らないで。そのかわり、これからも同じものを見させてね?」
「ああ」
 『ずっと傍にいたい』という思いまで気付いてくれているかは分からないけれど。迷わず応えてくれるその気持ちに偽りがないのは知っているから。案外この気持ちが届くにも、あと10センチくらいなのかもしれない。
 そんなことを考えながら、クレアは「ありがとう」と顔いっぱいに笑みを溢した。


2005/5/4 初出  【出雲奏司】
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