泣かないで、愛しい人よ。  <Tales of ...  <TOP

「イオン様、泣かないでください」
泣きそうな顔で彼女が言った。
 気づいていなかった。自分が泣いていること。そして何より、自分が泣くことができることを――悲しいと、思っていることを。
 最初から――生み出されたそのときから、『導師イオン』の代替品としてあることをずっと、諦めて認めていたはずなのに。
 見つめる彼女の表情が、不安そうに気遣うように歪んでいる。そう、僕を見て……

――ずっと、『誰か』の代わりでいいと思っていた。それで、いいのだと。

 常に、『言い聞かせる』ようにしていたその事実こそ、何より否定を意味していたというのに。
 気づいて、いなかった? ……いや、違う。

――そう思い込んでいられたのは、彼女がいたからだ。

 傍らを見れば、いつも僕を見ていてくれるアニスがいた。
 ずっと、こうやって誰より、もしかしたら僕よりもずっと『僕』を見てくれている人がいたから。それだけで、十分だと。
 でも、それが違うことを、はじめて教えてくれたのも、彼女だった。
「アタシにとっての『イオン様』はイオン様だけですから」
 自分がレプリカだと知っても、迷うことなくそう断言して笑ってくれた彼女。その言葉に偽りは無い。
 彼女が映してくれているのは、自分だけ。レプリカの「イオン」、その監視をも含めて。
 だから、僕は『導師イオン』を演じる僕でいられ続けた。彼女にとっての『導師イオン』として。
 彼女にとっての「イオン」は僕だけなのだと。


 そうやって。いつも、どんな時も。
 あなたはずっと僕を見てくれた。たとえそれがどんな理由であれ、僕は――


------- I'll be...



 ――そしてだからこそ、あなたが苦しんでいることも、知っていたから。
 あなたの責任感の強さと優しさに甘え続けることもできないと悟っていたから。
 だから、僕は自分の意思で最良の幕引きを選んだのです。


「僕の…音素の乖離に合わせて……あなたの、汚染された第七音素も…もらっていきますよ」
 もう殆ど残っていない最後の譜力を振り絞って、乖離の進む第七音素にティアのそれを吸着させていく。
「ほら、これでもう…ティアは……大丈夫…」
 その瞬間、息を呑む音と突き刺さるような視線を感じて。
 再度、今度は別の方向へ伸ばしかけた手は、それだけの余力は残っていなくて。動かないままで、何とか首だけで、息を呑んだ音のした方――彼女の、アニスの方へと向ける。見えたのは、泣き出しそうなのを必死にこらえるような、辛そうな表情。
『イオン……さま……』
 唇がわなないて、彼女らしくない擦れた……音になりきらない声が僕を呼ぶ。
 手を伸ばせない代わりに、目を細めて口の両端を綻ばせる。いつだって、彼女は僕を見ていてくれるから。
 ねえ、今僕はちゃんと笑えてるでしょうか。最期に残すのは、笑顔にしようと決めていたから。あなたが安心してくれて『好き』だといってくれた、その、表情で。
 ああ、きっと。必死になって手を伸ばそうとしてきた、この思いはきっと届かないけれど。
 いつも、この手はあなたを救うためには、拭いたい場所には決して届かないけれど。
 だからせめて、この手で断ち切りましょう。あなたを縛り付けていたものを。僕の身に引き受けられるもの全て持って、僕は逝きますから。

 ――そして願わくば、僕があなたの悲しみのための涙全て持っていけるように。

「今まで、ありがとう……」
 アニス。この言葉はあなたを一番傷つけてしまう言葉なのかもしれません。それでも、これは僕の本心だから。最期に伝えてしまうことを、どうか赦して下さい。
 ねえ――
「僕の一番、大切な……」
 僕にかけがえのないものをくれた、あなただから。
 かつて僕が泣いていると教えてくれた彼女が、今は僕を見て泣きそうな顔で見ている。
 でも、きっとこの場で彼女は泣かないのでしょう。
 人前では自分に泣くことを許すことなく平気なふりをして見せて、その後一人隠れてあなたは泣いてしまうでしょう?
 それを防ぐことは、もう僕にはできないのが、辛く心残りですが。せめてあなたを解放する預言を願い、僕は逝きましょう。
「――イオン様!」
 身を引き裂かれるような声が。僕を呼ぶ声が、最期にこだまのように聞こえた。
 薄れ行く意識の中で、思う。
 ああ、もうあなたの目に映ってその涙を拭うことも、伝えることもできないけれど。今、心から願います。


――どうか、一人で泣かないで。アニス。

 第七音素へと還元するこの身に宿る願いが、幸せをもたらす預言となりますように――





*手を伸ばして直接繋げるばかりが絆ではなく、断ち切り、願い祈り見守る形もそのひとつだと思いたい。
お題「泣かないで、愛しい人よ。」

2007/4/23 初出  【出雲奏司】

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