『生後一年は味覚があんまりないから、きちんと味覚ができてしまうまでにどれだけいろいろなものを食べさせた方がいいのよ。食べたことのある味だったら何となく覚えがあるから、拒否せずにきちんと食べられるんだって。つまり最初の一年でいかに食べさせておくかで、好き嫌いが決まっちゃうの』 生まれた子をあやしながらそう言うアンナの表情は、少女のようなあどけなさを残しつつも既に母親のもので。 『だから自分の嫌いなものでもしっかり食べさせないとね!』 意気込む姿は、恐らく彼の妻であるという贔屓目を抜いても微笑ましいものだったのだろう。そして回を重ねるごとに物慣れた様子で食べさせる手つきを、常ならば厳しさの強い鳶色の瞳は穏やかさを帯びて、時には感心するように見ていた。 そして先に言われた言葉にも異存などあろうはずもなく。いや、なかった……のだが。
Which do you like tomato rice gruel or yoghurt ?
離乳食を作るからと任され、未だ抱きなれぬ我が子をあやしていた彼の手が、目の前で湯気を立ち上らせるそれを目にした瞬間止まった。心地よい振動を与えられて健やかに寝ていたはずの赤ん坊が、変化に戸惑うように大声で泣き出す。 「……それはなんだ?」 慌ててなだめるようにあやす……と言うよりは振り回し(※よい子は絶対に真似しないで下さい)つつ、クラトスは搾り出したようなうめき声を上げた。一見細く見えるが、その実無駄に力の有り余っている父親の腕の中で、赤ん坊がぐったりしつつもきちんと加減されて抱かれているのはここ数ヶ月の父親の奮闘振りの賜物か、それとも愛ゆえか。 はらはらと少し離れたところから見ているつぶらな瞳と大きな耳を持つ動物……ノイシュの視線にも気付かず、クラトスは心を落ち着けるように深く息をついた。 そうだ、いや、わかっている。生後3,4ヶ月の赤ん坊の離乳食として最も一般的且つ手軽で適している目の前のそれ。 「え? 何っておかゆとヨーグルトよ?」 見て分からない? と首を傾げる自分の妻に、彼は鳶色の髪を緩やかに横方向に流れるよう揺らした。 それは彼とて理解している。しかし問題は…… 「いや、その中に入っているものだ!」 「トマトに決まってるじゃない」 至極当然、というように彼女はそこから更に首を傾げて目を瞬いた。 「だって私もあなたもトマト嫌いなんだもの、ロイドまでトマトを嫌いにならないようにするには徹底的に食べさせないと!」 だったら早いほうがいいでしょ? にこやかにそう意気込む姿は、今や彼にとって小悪魔に等しい。数千年越しという根っからのトマト嫌いである彼に、見たことも聞いたこともないその組み合わせの料理はとても許容できるものではなかった。 それが可愛い息子に与えられるとなるなら言わずもがな。認識した後の反応は早かった。 「だが物には限度というものがあるだろう! いくら嫌いだといっても、私にも調理法の向き不向きくらい分かっているぞ!?」 伊達に数千年生きてはいない……いや、それ以前の問題だと彼は眦を鋭く上げた。 流石連れ合いというべきか、普通の人間であれば竦み上がるような鋭い視線にも、その低い声の持つ地鳴りのような勢いにも飲まれることなく、アンナは心外だとでも言うように対照的に目を丸くする。 「そんな赤ちゃんに普通のトマト料理食べさせられるわけないじゃない! 分かってる!? 離乳食よ離乳食!!」 確かに考え方そのものは間違っていないが、双方ともトマト嫌いであるがゆえに生じる問題もある。 「では聞くが、味見をしたのか!?」 「元々トマトが嫌いな人間がどうやって味の良し悪しなんてわかるのよ!?」 とっさに反論しかけて、ぐっとクラトスはその言葉を飲み込んだ。 少しでも何か言おうものなら『ならあなたが味見してくれるの?』といわんばかりの気迫に、二の句が継げなくなる。クラトスもいくら可愛い可愛い愛息子のためといえど、嫌いな食べ物の味の良し悪しなど分かろうはずが無い。というより食べたくない。 「大体普通のおかゆとヨーグルトにトマト混ぜただけなんだから死ぬわけじゃないわ」 返す言葉をなくしたクラトスに、拳を握り鬼の首を取ったかのごとく主張するアンナ。『そういう問題か!?』と絶叫と共に突っ込みたい衝動を抑えて、クラトスは可愛い可愛いかわい……(エンドレス)息子の窮地(?)を救うべく、何かいい手は無いかと必死に頭をめぐらせる。 ……既に内容が子供の喧嘩のレベルである。 とはいえ、当人同士はいたって大真面目な上に引かないため、じりじりと音を立てそうなにらみ合いに、視界の端でさらに心配そうに首を持ち上げつぶらな瞳を向けるノイシュ。そこで幸か不幸か、視線に気付いたクラトスと目が合う。 しばしの、間。 クラトスは沈黙し、覚悟を決めるように胸中でポンと手を打つと、最後の妥協案を提出した。 「……ノイシュに食べさせてみよう」 「どういう意味よ!!?」 結局ノイシュもロイドもいたって普通におかゆとヨーグルトを食べるという結果に落ち着いたのは、いつもの食事の時間をとっくに過ぎたそれから約一時間後のこととなった。 そして幾つもの星が流れ、月日は経ち…… 偶然というにはあまりにも数奇な運命の中、あずかり知らぬところで育っていた息子と共に彼は旅をすることとなった。 母親の面影を色濃く残すその姿は、疑いようもなく息子だと思わせるのだが……
-END-
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