[19]近すぎる  <Tales of Symphonia  <TOP


 いつか、ずっとずっと昔見た、感じた情景。

 剣技指導を受けていると、時間は驚くほど早く過ぎる。まだ高い位置にあったと思っていた太陽は、いつの間にかずいぶん下まで落ちていた。抜けるような青空が広がっていたはずのそこは、もう高温まで熱した鉄のようなオレンジ色になっている。
 「今日はここまでにしておくか」
 疲れにもう声も出せずその場に座り込むと、クラトスは軽く溜息をつき、やれやれとでもいうようにそう言って首を振った。何か言ってやりたいところだが、もうそんな体力すら残っていない。
 殆ど疲れも見せず、抜いていた剣を鞘に戻す姿に、ロイドは内心で「ちぇっ」と舌打ちする。実力も、体力の差も歴然としていた。追いつくにはあまりにも高い、壁。その後ろからまるで後光のように射すオレンジ色の光を何となく恨めしく見遣って。
 ふと、ロイドは目を細めた。
 どこかで、見たような気がするその、景色。どこで、いつ? 喉元まで競り上がっている衝動に似たもの。後もう少しで出てきそうなそれに、苛立ちさえ感じてそれの正体を記憶の中で手探りする。
 ……そうだ、見上げるといつも丈高い背が夕日に触れそうで羨ましくて、それに近づきたくて駆け寄っていた気がする。その時に、よく何かを言っていたはずだ。注意を引きたくて、その目に映るものを知りたくて。
 喉元まで出かかったそれは唐突に、意識を持たぬうちにその空気を滑らせた。
「……    ……」
「……!」
 揺るぎないと思っていたそのしっかりした肩が、目の前でびくりと震える。緊張のようなものがはしるクラトスの姿に、ロイドはきょとんと目を瞬いた。同時に、我に返るように先ほどまで夢心地で重ねていたはずの情景も消える。何かを思っていたはずなのに、思い出せない。……酷く暖かくて、懐かしくて、大きなものだと思っていたはずなのに。
 だがそれよりも不意に加えられた目の前にある眼光の異質な強さのほうに、意識は向いてしまう。夕日を背にし、逆光となって定かではないが、自分とは僅かに違うその鳶色の瞳に宿る光が、いつもよりも揺らいで見えるのは気のせいだろうか。
 全身を緊張したように固くするクラトスに、ロイドは途方に暮れたように頭をかいた。
「あ、わり……俺、今なんか変なこといってたか?」
無意識で覚えてねーんだ。思わぬ反応に困って言うと、クラトスは表情を崩さぬままただ溜息をついたようだった。
 ただ、警戒する様に張られていた緊張は解ける。
「大したことではない。そろそろ宿に戻った方がいいだろう」
 やはり勘違いだったのか。いつもの平静さを宿した声に、ようやくロイドも落ち着く。同時に戻ってきた食欲に、思いっきり伸びをして。
「そーだな。俺もー腹減った! ……って、クラトスはまだ戻らねーのか?」
 帰る方向とは反対へと背を向けるクラトスにロイドは首を捻る。その問いに返されるのは、かすかな頷きと肯定の言葉。
「私はもう暫くここにいる」
 言外に言われた「先に帰れ」という意思に、何となく引っかかるものを感じつつも、まあいつものことかと納得することにする。食い下がっても相手にされないことは目に見えていたし、そうするだけの体力も今はない。
「ふーん……じゃ、あんたも早く帰ってこいよ。ここ、結構寒いし」
 言いながら体を振るわせて腹の辺りを両腕で抱くようにすると、ロイドは宿への道へ歩き出す。
 ぼんやりとした記憶は消えて、赤く染まった大地の上に長く伸びた影しか、もう辿れなかった。


 ―――――――


 ……懐かしい、聲を聞いたと思った。

「覚えて、いるのか」
 遠ざかる自分だけが一方的に知る、我が子の背へ呟いた言葉に、否と自身で首を振る。そんなはずがない。思い出すにはあまりに近く――しかし最早手が届かぬほど遠いその記憶。
 夕暮れ時に、長く伸びる影を指差しては笑い、夕日に届きそうだからと肩車することをねだった幼子。

 ――とうさん――

 今の姿にそれを重ねる事はできない。ただ時折見つける仕草があまりに幸せだった記憶に近づき、その片鱗を見つけるたびに後悔と懺悔する思いが突き立てられる。
 ……いっそ、風化してくれたならば楽だったのかもしれない記憶。だが、それを望む事はきっとない。そしてそれを誰に伝える事もないだろう。
 それは自分にとって何よりも幸福に近く、絶望に近い。

 ――とうさん――

「……忘れてくれ……!」
 自分だけが知っていればいい。だが、知らぬままに面影を抱いていて欲しいとも願わずにはいられない。
 鉄の味さえ滲みそうな擦れる声で願う、それは矛盾した――だが切なる願いだった。







 忘却は、覚えている事を前提とする行為。そして思い出は諸刃の剣。
 時期的にはパルマコスタ辺りかなと。


2004/03 初出  【出雲 奏司】

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