最初は、冗談じゃないと思った。
借金のカタに孫――娘を差し出せなんて、今どき時代錯誤も甚だしい。当たり前に本気でそう思った。
だから意地でも、たとえ借金取りに追い回されるようになろうとも、拒否してやると。
だけど、別に残されたごく個人的な――公的なものではない――父の遺書だと渡された文面の中に、花を望んだという『天原瑞貴』について触れられていた。
『瑞貴を花に会わせてやってくれ』と。
そして『天原瑞貴』――『ミズキ』という名前に覚えがあることを思い出した。かつて、花が父の家に行くたびに一緒に遊んでいたと言う少年の名前であることも。
それはごくごくささやかなものではあったけれど、少しだけいい意味で興味がわいたのは事実だった。
約束の場所 -- Start is there.
(まあ、だからと言ってこちらも『ハイそうですか』と娘を借金のカタに送り出す気になるわけがないんだけど)
目の前の『天原瑞貴』の姿を見ながら、智代は胸中で一人ごちる。
おそらく花と近い年なのだろうけれど、とてもそうとは思えないほど『大人びている』だけでは足りないほどの何かを感じさせる、落ち着きすぎたその姿。決して不快というわけではないが、年齢離れしすぎて薄気味の悪さの拭えない完璧な立ち振る舞い。
詳しいことは話せないがと前置きして、彼は一時的(といってもいつまでかは不明)に婚約者を必要としている旨を告げた。もちろん『フリ』として一緒に暮らしてもらうことが絶対条件であるだけで、それ以上を求めるつもりは無いということ。一定期間を過ぎれば、あくまでも本人の意思を尊重すると――要約するとそういう話らしい。
その内容にも、とりあえずは理解はした。……が。
(とは言ってもねぇ……)
理解するのと『納得』するのとではまた違う話だ。
その経緯を語る『天原瑞貴』は確かにこちらを十分に気遣う配慮をしているのが分かったが、その感情はあまりにも淡々としていた。それは、単純に『利害関係の一致』があり、『便利』だからという花である必然性のない説明だった。借金している身で先方の要求に口出しする権利などないことは百も承知だが、それはあまりにも性には合わないやり方だ。例え父の遺言だろうが、借金のカタ――『代用品』して、こっちの尊厳を金で売り渡してやる気になれるはずがない。
花を――『人』をそんな金で都合のつく『物』としか見ない輩に、娘を預ける気になど誰がなるかと。
何より、個人的に引っかかっていた言葉が一切出てないことが、いらつかせている一番の要因だった。
(小さいころに遊んでいたっていうのは――勘違い?)
かつて花がウルサイほど口にするほど親しくしていた少年の名前だったからこそ、多少の期待を込めまともな説明の一つもあるかと話を聞こうかという気にもなったというのに。せめてそのことがあるからという一言もあれば、まだ納得もできたかもしれないのにと。
そう、知りたかったのは『理由』。あの誰より花を可愛がっていた父に、『花をくれてやる』と言わせるだけの訳があるはずだと思ったから。
……これでもなお、その真意を話すつもりがないのならば、徹底的に拒否を告げるつもりで。
終始老成した表情を崩さない『天原瑞貴』に、智代は最後の賭けと決め、その問いを告げた。
「……貴方はウチの花が昔よく遊んでもらってたって言ってたミズキくんですか?」
そして。
それを聞いた瞬間、終始落ち着いた表情を崩すことのなかった彼の顔に、動揺と同時に朱が走った。
「……はい」
素直に出すことを躊躇いながらも、喜びを抑えきれないような、本当にそれは刹那の――笑顔。
僅かに遅れたものの、返事はごく平静で。それは本当に一瞬の表情で、すぐに仮面が掛けかえられる様に切り替わったけれど。
(ああ――『そう』いうことね)
思わず緩みそうになる口元を引き締めて、智代は代わりに目を細めた。
なんて、分かりにくくて分かりやすい『理由』。
返事を聞くまでもなく、それは雄弁だったから。例えほんの一瞬のことであっても、垣間見えた表情だけで十分だ。
「……そうですか。わかりました」
全てを悟り、智代の中に燻っていた不安や疑問は消えて、代わりに粋に笑う父の顔が浮かぶ。
(花を行かせることは最初っから決定事項だったってたわけね)
胸中で、亡き父へと語りかける。あのお人好しの父のことだ、何があったのかは分からないが、年に合わぬほど悟りきった笑みを浮かべる彼を、年相応に――少なくともこんな表情でばかりいさせないために、『花をくれてやる』などと決めたのだろう。
ということは――
「花を貴方のもとへやることを言い出したのは父――江ノ本正彬ですね?」
「――!」
虚を付かれた様に、彼は再度言葉を失った。思いついたことを確認すれば案の定、図星か。
納得とともに「無理に答えていただかなくてもよろしいですよ」と口を開きかけた彼を制し、智代は最後にもうひとつだけ確認をした。
「どちらにしても、結果として貴方も『それ』を望まれたと思って宜しいですね」
「――はい」
真っ直ぐとこちらの目を見て言い切った彼に、軽くうなずく。
彼が元々幼馴染みだった花には、その表情を緩める可能性があると父は気づいていたのだろう。そして何があったか分からないが、現在は関係が切れているのを無理やり結び付けようとしたと。
たとえ、『借金のカタ』と言う無理やりとも言える名目であれ、引き合わせるために。
(まったく、らしくもなくややこしいことを……)
後のことを考えれば面倒ばかりがあれこれと浮かんで。はあ、と頭を抱えそうになるのを何とか抑えたくもなるけれど。
目の前で、一瞬だけ走った動揺はもはやかけらも見せず、どこか不思議そうに――だが穏やかな表情を装う『ミズキくん』を見て智代はふっと微笑んだ。
(まあ、これじゃ仕方ないわね)
笑い出したいのを堪えながら、智代はじっと『天原瑞貴』と名乗った少年を見つめる。
ずいぶんと長い間会っていないだろうに、目の前の彼がそれでもなおそのときの記憶を大切に思っているのだと分かるから。態度こそ老成して見えるのに、どこか幼い子どものように純粋な少年。昔花が彼の名を口にしていたと言う、ただそれだけのことに見せた表情に賭けてみるのもいいだろうと思えたから。仕方ないと答えを決める。
それは、きっと父の最期の望み。
そして何より、最期まで父を思って助けて看てくれていた少年の望み。その恩に報いるためにも……それほどに望むのなら、多少強引でも会わせるだけの価値は、きっとある。
この『ミズキくん』にとって……そして、あるいは花にとっても。
(ま、万一あの子が本気で嫌だって言うなら、それこそ噛み付いてでも逃げ出すだろうし)
幼い頃から大して変わらない、がさつで必要以上と言えそうなほどに逞しく真っ直ぐ育った我が子を思って、物好きなものだと目の前の少年を見る。
賭けてもいいだろう、彼は決定的な意味で花の望まないことを強いることはない。こちらが何を言う必要もなく、大切に大切にするだろうから。
――ならば、もう出すべき答えは決まっている。
「そこにお座り、花」
どこか緊張したようにちんまりと座る娘を眺めて、心底溜め息を吐く。
(――まったく、こんな形で出すことになるなんて思わなかったけれどね)
これもきっと、一つの縁の形なのだろう。
父を最期の時まで思い看取ってくれて、この娘と会うその『代価』としても支払ってくれたというのなら……
「お金のかわりにあんたが欲しいそうよ。天原瑞貴さんはね」
決めるのはあんた自身。食わず嫌いは許さないけど、お互い納得するまでいってきなさい。
当然とんでくるであろう絶叫を叩き返すだけの息を補充しながら、智代は茶を啜って返事を待つ。
さて、無理やりでも叩きつけてさしあげましょうか、ミズキくん?
-END-
*様子見てる限り、なんとなく詳しい事情智代さんも知らなかったんじゃなかろうかと思いつつ。
最初落としたものから大分改変しましたー(大本は変わってませんけどね)行数制限して書いちゃ駄目ですね。うん。
2007/6/24 [ 出雲 奏司 ]