きっと伝えることはない
はかなくうつろう季節の変わり目の気温のように
君 がこの手から今にも消えるのではないのかと
思わず腕を伸ばしたのだと――――
秋空の残照 --Close your eyes and feathers.
「また脱走して昼寝か。いい身分だな? トリス」
昼寝というには少々日の高さが低くなりつつある刻限の頃。
例によって例のごとく、導きの庭園で見なれた姿を見止めて彼――ネスティはその秀麗な眉の間に縦じわを刻んだ。
身につけた深紅のマントが揺れているのは風のためなのか否か、彼自身にも判別がつかない。
「だあってぇー、授業つまんないんだもん。……やな奴だっているし」
それに対して唇を尖らせて頬をぷくっと膨らませるのは彼の妹弟子であるトリス。反省の色も見られないその姿に彼は深深と溜息をついた。
実際のところ、彼女のような"成り上がり"に対する派閥の、ひいては周囲の扱いは厳しいものがある。それは今に始まったことでもないが、トリスにしてみれば十分に脱走するだけの理由となるものであろう。その気持ちはわからなくもない。
……だからといって、脱走という行為を認める気は毛頭ないが。
「言い訳は後で聞こう。ラウル師範が心配されるんだ、早く戻るぞ」
「……はーい」
反論は許さないといういつも通りの口調に、トリスは首を竦めて返事をする。彼女としても師範に負担をかける行為は望むところではないのだから、しぶしぶながらも頷いて。
たん、と軽く勢いをつけてこしかけていたベンチから立ちあがって空を仰ぐ。
「でもさ、ようやく暑くなくなって涼しくなって、お日様もいい感じにお昼寝むきなんだよ? こういうときくらいお昼寝しない方がおかしいって、うん」
一人で言い訳がましくそう呟いて、これまた一人勝手に納得して。そのまま甘えるように腕にしがみつくと、にぱっと笑ってこちらを見上げる。
「だからさ、今度ネスも一緒に来ようよ! そしたらあたしがこうするのわかるよ! ね、いい考えでしょ?」
「君は……」
「馬鹿か?」といつも通りに出かかった言葉を飲み込んで、彼はふと記憶の隅にあった事実を思い出した。そう、いつも通りに流されるのであればまだこちらの方がまだ効果があるだろうか。
そう考えて、彼は少しだけ口の端を持ち上げていつもとは違う台詞を選ぶことにする。
「……ああ、そうだな。君が僕の出しておいた課題を全て今日中に仕上げられたら考慮に入れておこうか」
「ええーー!? そんなの無理だよぉ……」
決して少ないとは言えない課題の山(とは言え真面目にすれば1日で終わらせられる)を思い出したのだろう、即座に打ち出されたブーイングの叫び声。いつものように説教を聞き流されるのよりはマシなのだろうが、予想通りといえば予想通りの反応に、ネスティは眉間に刻まれたしわを更に深いものとする。
「やる前から諦めるなといつも言っているだろう? まったく君は少しは努力をしようと……」
「むぅ、ネスのイジワルっ!! こーなったら絶っ対に今日中に課題を終わらせてネスをサボり魔にさせてやるんだからーー!」
よーしやるぞー! と両手に拳を握る妹弟子に、たきつけた本人はその決意が何分持つことやらと思って小さく溜息をついた。
「はいはい。期待して待ってるよ」
「なによそれー! 絶対に期待してないでしょ!?」
半ば諦め混じりの調子で思わず零れた呟きに、耳ざとく聞きつけトリスは頬を膨らませる。
「さあな。君が穿った捉え方をしてるだけじゃないのか?」
答えつつも、その姿がとても年相応には見えなくて苦笑すると、さらに怒ったようにトリスは少しだけ早足で歩き始めた。
空にある日は更に高度を落とし、足元に纏わりつく影を細く長く伸ばす。
先を行く影は自由に飛びまわり、それを創り出す鮮やかな空色の光がトリスの細く癖のない髪を溶かすように包み込んで――
思わず彼女についと腕を伸ばしてその頭を少しひきよせた。
「どうしたの? ネス」
よっ、と反動で少しだけバランスを崩しかけて、それでも怒った素振りも見せずトリスはちょこんとこちらを見上げた。
「……下手に早歩きするとこけるぞ」
とっさに答えた言葉は、あまりに滑稽で。
「さっきのネスの方がこけるってば。変なネスー」
理由にならない理由を気にした風もなく、トリスはそのまま離れようともせずくすくすと笑った。
知らずほっと表情を緩めて、彼は光に融けそうだったその髪に指を絡ませる。
そして穏やかな瞳で見つめてひとつ想う。
いつまで。
いつまでこの時が続いてくれるのか
たとえ見えていないだけだとしても、彼女は鎖に縛られていないから。
気付かせたりなどしないから――――
それでも……
彼女はいつまでこの腕の中で、この手の届く先にいてくれるのだろう。
切なさとも痛みともつかない感情に少しだけ顔を顰めて、深紫を撫でる手に少しだけ力をこめる。
つい、と抱え込んでいた頭が不意にずらされて。覗き込まれるように見上げられて合わされた瞳に映るのは、ころころと変わる秋空の色。
「ねえ、ネス。また一緒にここに来ようね!」
「……ああ。そうだな」
まるで誘導されるようにそう答えると、「へ?」ととリスは驚いたようにきょとんと目を瞬かせる。
彼自身もその答えの不自然さに気付いていたが、敢えて訂正することはなかった。
疑問符を浮かべて混乱する妹弟子を腕に抱いたまま、ゆっくりと足を運んでいく。
今はまだ考えない。考えたくない。
残照のようなぬくもりを残酷な檻に留めつつ、
この手から飛び立つだろう彼女の未来に今は蓋をして。
季節の変わり目特有の、温もりと冷たさの入り混じった風が過ぎる。
それは止まることなくどこまでも変化するもので、その場に留まることを知ることはない。
その中で、ただ消えることのない想いが微かに滲んで、揺れていた。
-END-2001.08.25 [ 出雲 奏司 ]
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